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2019-04-28 08:01:00

いくつになっても

思春期は、親や先生などを、お手本にしながら作ってきた自分と、お別れをして、

「理想」と「失望」に葛藤しながら、新な自分を確立してゆきます。

 

「本当の自分って??」「自分は何をやりたいのか?」を模索していく時期です。

また、自分が他人にどう見られているかを意識する時期でもあり、色んな葛藤の中で最終的に、

自分は、こういう人間なんだということがわかっていきます。(自分自身を客観的な目で見られるようになる。)

 

その過程を経て、他者とは違った自分、たった一人の自分を作ることで、

他者の価値観に揺るがされない自分を手に入れていくのです。

 

「自分探しの旅」とは、よく言われることですが、結局、生きていれば、いくつになっても、このテーマにぶつかります。

 

特に女性は、結婚、出産、仕事を続けるか?親の介護はどうするか?などの

選択肢が多くなります。

自由に選べる時代になったからこそ現れる問題ともいえるでしょう。

 

更に、中年の危機といわれる40代~50代は、身体的な変調をはじめ、

子どもの自立に伴った母親役割を失う喪失感、

夫婦の共通目標であった、子育てを終える事で訪れる、関係のありかた等、

社会的な役割を離れることで、個としての生き方を問われる時期でもあります。

 

ここで、今まで未解決だったあなたの課題が浮上してくることがあります。

 

私が私として生きていくために、思春期のように、自分探しをする時期がまた、やってくるのです。

 

今まで気づけなかった(気づく事をしなかった)あなた自身に出会うための旅のお誘いです。

 

旅を、始めるか始めないかは、自分次第。

自分で選んで決断できる、自らが望む人生を手に入れたいのなら、いくつになっても遅すぎるという事はありません。

 

 

私は、セラピーをとおして、あなたが自分のために生きていく、

 

お手伝いをさせていただけたら嬉しいです。

いくつになっても

2019-04-15 16:55:00

ジャッジしない生き方2

あなたは自分に優しくする方法を知っていますか?

どこかに出掛けたり?

美味しいものを食べたり?

ゆっくりと身体を休ませたり?

欲しいものを買ったり?

自然に触れたり?

 

 

人それぞれ思いつくことは違いますが、

自分が喜ぶことをしてあげよう!と思うのではないでしょうか。

 

 

自分が心地よいことを思いきりするのは大切なことです。

例え些細な事であっても自分が喜ぶ、ほっとするという事を、

普段から、沢山見つける事は自分探しのようで楽しいものです。

 

 

他にも、自分に優しくする方法があります。

もっと深く、自分に優しくできる方法ですよ。

 

 

それは、

自分の嫌な部分を見ないようにしない、押し込めないということです。

 

嫌だなと思う感情が現れてきたら、否定も肯定もせず、ただそれとともにいること。

 

自分勝手だって思っている自分がいるな~

他人のせいにしている自分がいるな~

ダメな人間だって思ってる自分がいるな~など

 

 

ただただ、今、自分におこっていることを、自分が気づいているだけの状態、

感情を眺めているというイメージです。

 

 

えっ!?

それって、全然、自分に優しくしていないんじゃない?

そう感じる方もいるでしょう。

 

 

でも、心の奥に普段は、しまわれている自分の怒りや、悲しみや、狡さや、弱さは、

生きるうえで必要な、大切な力であり、今まで自分を守ってくれていたものです。

それを認めてほしくて、いくら抑えこんでも、何かのきっかけで、

タイミングを見計らっていたかのように必ず、その部分は出てきます。

 

 

ずっと、長い間、あなたに気づいてほしかったこと。

 

まず、そこに居場所を与えてあげる事が必要です。

 

無視しないで、その感情をに関心を示してあげることです。

 

 

「どうしたの?」

「でてきたね~」

って、居場所をほんの少しでも与えてあげること。

 

すると、段々、落ち着いて静かになっている、自分に気づけるかもしれません。

それを続けると、心の奥の深い怒りや悲しみは段々と形を変えていきます。

普段の自分と混じりあって、今までとは違った味わいのある姿に変わっていきます。

 

 

人の言動に振り回されていると感じる方、

対人関係で、いつも出てくるパターンのようなものを感じている方。

「あの人はどうして私をわかってくれないのだろう?」

そう思う方はまず、自分の心に何が起こっているのか?興味を持ってみることです。

 

 

それができてくると、怒りや悲しみの感情に、振り回されることが少なくなり、

今までの人間関係に変化が起こってきます。

 

 

でも、これには練習が必要です。

今まで、良い自分にしか光を当ててもらえない日常を送ってきたのですから、無理もありません。

 

 

自分を変えようと努力するよりも、ありのままの自分で、い続けようとする事に勇気を持ち、

ゆっくりと時間をかける時、初めて人は変化するのです。

 

 

KIZASHIでは、ゆっくりと自分の身体の中におこる出来事に気づくことで、

 

あなたが、あなた自身を頼りにできるようになれるよう、お手伝いをさせていただきます。

 

ジャッジしない生き方2

2019-03-24 19:13:00

感受性の高さ

感受性が強い人って、どんな人だと思いますか?

人情に厚く、あたたかい心をもつ人?

人の些細な変化に気がつくことができ、心配りができる人?

 

今流にいえば「空気をよみやすい人」と表現できるのかもしれません。

 

私の周りにも、沢山の感受性豊かな方がいます。

いずれも、私にとって安心できる仲間たちです。

 

感受性の強い方は、ものごとの細かい部分まで感じとれるので、対人面において、

気疲れしたり、傷つきやすいといった、敏感さを持ち合わせている人ともいえるでしょう。

 

 

他者に対するアンテナが高すぎるために、感情移入しやすく、相手の問題を自分の事のように感じすぎたり、

相手を優先してばかりで、自分を大事にできなかった経験もあるかもしれません。

 

 

でも、あなたの持つその特性は宝物でもあるのです。

 

小さなことで傷つくその心は、どんな些細なものにでも感動出来る純粋さも持ち合わせています。

それは、どんな時でも、どこにいても自分の心を豊かにすることができる力です。

また、あなたの高い共感力は、周囲の人に幸せな気持ちをもたらすでしょう。

 

 

では、感受性の豊かさという宝物を活かしていくためには、どうしたらよいのでしょうか?

それは、

「相手に感じる感情を、自分に戻す」事です。

例えば

「この人怒ってる?」「迷惑なのかな?」と感じた時、

そっくりそのまま、

「私は今、この人が怒っているのかな~?って感じてるな」

「私は今、この人が迷惑じゃないのかな?って感じてるな」と

今、自分が感じている事を眺めてみればいいのです。

 

 

そうすることで、自分の感情と他者の感情をわけることができます。

 

相手が、どう感じているか結局は、相手しかわからない、あくまでも自分の推測でしかないのです。

投影とも言われる、自分の心を映し出すことによって感じるものでもありますが、

感受性の高さが引き起こすことと言えるかもしれません。

 

まずは

「自分の思いと相手の思いに線を引くこと」が大切です。

 

自分が、ただそう感じているのだな、ということです。

その思いに良い悪いもなく、ただそう感じているのだね、と自分の思いを、その場に置いておくのです。

 

 

ここで注意したいのは、例えば

「この人怒ってる?」って感じている時、

「また、こんなこと気にしてる・・私ってダメだな」等と押し込まないこと。

 

あくまでも今、私が感じていることは、良いも悪いもないのです。

そこに、解釈や判断をいれるから苦しくなるのです。

ただただ、自分に起こる感情や記憶や感覚と共にいる練習をします。

 

 

これは、マインドフルネス瞑想や、気づきの練習によって、

自分と他者との間に起ることを、区別できるようになることで、楽になっていきます。

 

さらに、ありのままの自分を感じられる強さと、心地よさが手に入り、

 

無駄な苦しみが少なくなり、いざ!という時に、本来の力を発揮できるようになっていくでしょう。

 

感受性の高さ

2019-03-08 20:44:00

女性の器

女性は、もともと「受け取る」という、素晴らしいプレゼントを与えられています。

 

身体的にも、女性は「受け取る」男性は「与える」という構造上の違いがあります.

男女の違いは、もともと性質の異なるものなのですね.

 

実際に、女性は、パートナーから愛されていないのでは?と感じることが多いようです.

 

受け取ることが下手だと、愛されていても、それに気づけないので、もっと愛してほしい

という欲求が、加速することになります.

 

受け取るのが苦手な方は,

自分の力で、何とかしようと頑張ってきた人、とも言えるでしょう。

 

だから、他者に、助けを求めたり、甘える事が苦手かもしれません。

幼少時から、親が忙しく、甘える事ができなかったり、人に迷惑をかけてはいけないと、

自立ポジションでいる事を求められ、本音を言えなかったり、

自分が助ける役に回る事で、家族をまとめていたり。

実際に、SOSを出しても、相手にされなかったり、怒られたり・・・

 

様々な経験の中で、思いは、ひっそりと、心の奥に追いやられたのかもしれません。

 

相手からしてもらったことを素直に受け取れない、喜べない根底には無価値観があります。

 

こんな私はダメだから・・・という思いです。

 

それは反面、相手の困りごとには敏感で、相手の問題を、そのまま引き受けたり、

Noと、はっきり断る事ができなかったりと、他者ペースに巻き込まれやすくなります。

 

そして、与える事ばかりが当たり前になると、

次第に、与えられない自分を責めたり嘆いたりもします。

苦しさを自分で作っていく状態です

 

受けとる、与える。

 

これは、キャッチボールのようなもので、どちらが大きいからいい、というものでもありません。

 

他者に与える事は素晴らしいことである、と思われがちですが、

与える事で得られる喜びは、相手が、それに反応してくれなかったとしても、

それをする自分が好きだから、また与えたくなる。

これが本当の喜びでしょう。

 

そこには、無理はありません。

 

他者の反応を見て、自分を評価するという駆け引きが、苦しさを生み出します。

 

 

~受け取るには練習が必要です~

 

意識して真剣に、まっすぐ受け取りましょう。

してもらったこと、言われたことを、そのまま受け取る。

 

手伝ってくれたことに「ありがとう」と言う。

褒めてもらったことに「ありがとう」と言う。

そこには判断や解釈は必要ありません。

 

それは、相手の存在そのものを受け取ることに、繋がっています。

 

相手も、受け取ってもらえる安心感と満足で、また与えたくなります。

受け取ることは、相手の愛を受け取ることなのです。

 

どんなに些細な事でも「ありがとう」って受け取ってみる。

愛を受ける喜びを自分に許すと、女性としての器が満たされていきます。

それは、同時に、相手を包み込むという力を発揮してもいるのです。

 

 

傷ついた女性たちが、愛を受け取ることを自分に許すことで、

 

「愛されたい」から「愛してみたい」という次のステージが現れてくると感じます。

 

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2019-03-01 08:36:00

傷の処置もかわりました

以前は、切り傷や擦り傷などの処置は、消毒薬で患部を消毒し、抗生剤入りの軟膏をつけ、

その上にガーゼを当てて・・・という方法が一般的でした。

 

現在は(状態にもよりますが)消毒をせず、患部を水道水で十分に洗い流し、

被覆材で乾燥しないように、創を保護する方法に変化してきました。

 

「もともと備わる自然治癒力を促すこと」に注目された治療ですが、

 

 

邪魔をしない、そこにとどまる、待つこと、共にいること。

これって、

カウンセリングやセラピーと通じるものがあるな~と私は感じます。

 

 

カウンセリングやセラピーを受けていくと、様々な記憶や、感情や思いが溢れてくることがあります。

今まで、意識される事のなかった、私の中の少し深い部分に触れる体験です。

 

 

 

傷の処置の話に戻ると、この方法を試した方なら、おわかりかと思いますが、

治癒の過程の中で、浸出液が出て、何だかジュクジュクして、ちっとも治っていかないような、

むしろ悪くなっているようにも感じて、心配になったり焦ったりする時期があります。

ここが、カウンセリングの途中で、おこるものと似ているように、私は感じます。

 

 

でも、この浸出液には、

組織に入った細菌を、やっつける免疫細胞や、壊れた組織を治すために新しい組織を生み出す細胞など、

傷が治るのに必要な成分が沢山入っています。

 

 

その力を信用して、待つことが必要な時期があるのです。

一見、良くならないと思われる、その時期を、やり過ごす時間です。

 

 

とはいえ、良くならない・・という焦りから、従来の方法に戻したくもなります。

長年、親しんだ方法を用いることの安心感です。

 

 

生きていれば、辛いことは、直ぐにでも手放したいと願うのは当たり前、

少しでも早く、効率よく、楽になりたいですもの。

痛いのは嫌、苦しいのは皆、辛いです。

 

 

でも「元に戻る力」は、目には見えないけれど、

停滞していると思われる状況の中でも、じわじわと修復に向かって働いているのです。

 

 

だから、辛さと敢えている、のが必要な時期は、必ずあるのだと思います。

自分の取り扱い方法を、自分が知るために、この過程は、とても大切なところです。

 

 

自分を持つ力を信用してみる、試してみる、任せてみるという時期ともいえるでしょうか。

何かをしなければ・・・から、何もせず身を任せてみる感覚。

 

 

この時期は、自分に起っていることを観察し続けること。

そして、生きている細胞を乾燥させて死なせぬよう、

浸出液の力を十分に発揮できるような、環境を与えることが必要になります。

 

 

それは、食事や、睡眠・運動・休養だったり、

見たり、聞いたり、触れたり、嗅いだり、味わったり、の五感を使ってみたり、

同じように傷が治らず不安を抱える他者や、今は少し先を行く他者との関わりであったり、

その中で、新たな気づきが生まれてくることがあります。

 

 

浸出液は、誰もが持っているものです。

いつの間にか、自然に傷を治せる、皆に平等に与えられた贈り物です。

 

 

それを自分が受けとっていく、そんな感覚を取り戻す時間を、ご一緒させていただければと思います。

 

傷の処置もかわりました

 

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