相手の話を聞くということは、自分が話すことより、難しいことだと感じる。
世には、聞き上手といわれる方が沢山いるけれど、
そんな方に話をした時には、自分をわかってもらえた!という、
実に気持ちのよい感じを受ける。
でも、実際は、そのような時ばかりともいえない。
苦しみや悲しみ、怒りといった一見、マイナスな感情を目の当たりにした時、
人は、戸惑ってしまうのだと感じる。
何かを言わなくては、何かをしなくては、という思いが生まれるのか?
それは、何とかして励ましたい、という思いだったり、
怒りを、ぶつけられる怖さから逃げようとして起こることなのかもしれない。
相手の辛さと距離を置くために、無意識に生まれてくるものなのか・・
他者と共に、ただ、そこに在るということは難しい。
アドバイスは、時として、相手の思いを、ないものにしてしまうことに、つながりかねない。
そんな時、相手には、共有されなかった気持ちの悪さが、残るかもしれない。
正論より共感・・・
ただ、共にいて、そこにとどまること。
相手の中で今、何が起こっているのか?興味を持って、一緒に体験する姿勢や、
それは、こういうこと?って、尋ねていく丁寧な時間が必要になるだろう。
相手に起こっていることを、判断や評価することなく共有していく時間。
そう・・・あなたに、今、そんなことが起こっているのだね、ということ。
それができるようになるには、
自分の中に、評価や判断を下している自分がいることに、気づく練習が必要だと感じる。
気づいたのなら、そこから離れ、フラットになってみること。
それは、他者と対等になるということでもあるだろう。
カウンセラーといえども、これができる方は少ないと感じる。
幸いなことに、私は、この姿勢を自然に学べる方達がいる。
そこに生まれるものは、
信用、信頼、尊敬、そして感謝だ。
あなたは、人に侵入しすぎていないだろうか?
操作ではなく、共に在ることで生まれてくるもの。
あなたに何が起こっているのか?
知りたいと願い、集中する時、そこに自然に生まれてくる、気づきがあるのだと感じる。
それを共有できること、そんな喜びに満ちた機会となるよう、
私も、まだまだ新たな自分に出会いながら精進していきたいと思う。