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2021
04 / 23
18:30

母 ママ お母さん

母 ママ お母さん

近くのスーパーマーケットに立ち寄った時のこと。

レジで支払いを済ませようと並んでいると、お菓子コーナーから、

大きな声で泣き叫ぶ子どもの声が聞こえてきた。

 

見ると、3~4歳だろうか?

男の子が床に仰向けになって、買って買って~!!と暴れている。

傍には母親らしき女性が1人。

 

母親は、暴れる子どもを静かに眺めるように立っていて、時折、淡々と何やら子どもに言って聞かせているようだ。

多分、想像するに今は買わないよ、というようなことだと思う。

 

その親子は、ちょっとした有名人らしく、店員さん同士で「久しぶりだね~」などと囁きあう声が聞える。

私の番がきて、支払いを済ませようとすると目の前に、さっきの親子がいる。

帰る様子だが、子どもは諦めきれないのか、出口で床に寝そべり、またワーワーと大声で泣いている。

どうするのだろう?と興味の湧いた私が見ていると、

一時泣いて、ようやくあきらめがついたのか、その子は母親が「おいで」と広げた胸の中に、泣きじゃくりながら飛び込んでいった。

それを眺めていた私の胸に、こみあげてくるものがあった。

 

子どもが同じくらいの時、私は、スーパーに行くのが嫌だった。

必ずと言っていいほど、子どもは買って買って!とせがんでくる。

買わないことを伝えても一緒だ。

買って買って!!と諦めない。

そんな時、私は大体根負けして買っていた。

それは、泣かれるのが嫌だったから。

その様子を周りに見られて、うるさいな、と思われるのが嫌だったからだ。

「もう知らない!!」を決め台詞に、その場からさっさと離れたこともあったな。

 

あの時の私。

 

子どもに寄り添うことなく、周囲の目を気にして、とりあえず、その場をやり過ごすことの繰り返しだったと思う。

どんな風に接したらいいのか、わからなかったともいえる。

 

あの母親のように、子どもの気持ちを聴きながらも、できること、できないことを示す。

子どもの感情を無視することなく、怒りで押さえつけず、逃げもしない。

ジッと見守って、最後に受け入れる。

あの母親の姿に、私は神々しさを感じた。

 

親子を見ながら私は、母としての自分を映し出していたのと同時に、

子ども時代を重ねていたのだろう、あの子どもに羨ましさを感じたりもした。

 

当たり前のことだが、

子どもを産んだからと言って、今までと違う自分になれるわけではない。

子育てを通して、できれば知りたくなかった歓迎されない、自分の部分に気づかされる時があるだろう。

だから、苦しいと感じるお母さんも多いのではないか、と思う。

 

母親たるものこうでなければ、という思い、責任ともいえるもの。

一方、本当はこうしたい、という自分の思いだってある。

どちらか片方だけならば苦しみは生まれない。

 

苦しさは、自分の劣等感や罪悪感によって起こる。

子どもを持つ以前から、自分にあった未消化の部分だと思う。

 

母なら当たり前に、やること、こなすこと。

常識、当たり前、普通と言われること。

周りはできて私にはできない、という無意識的な思い込みがそこにないだろうか。

 

子どもの成長によって環境や対人関係は変わっていく。

色々な役割が思いのほか多すぎて、混乱状態になることもあるだろう。

適応できない自分を恥じたり責めることによって、孤独を感じる子育ては、どれだけ辛いだろうと思う。

 

親だって苦手なことは沢山ある。

母たるものこうでなければ、から離れ、正直に飾らず伝えることを選ぶことがあってもいいのだ。

 

色々な人がいるのだから、当たり前に色々な母親がいていい。

お手本になるお母さんでなく、え~!!って驚く位の個性的なママに魅力を感じることだってあるのだ。

 

あの、お母さんのようには、私は今もなれないだろう。笑

それでいい、それがいい。

 

子育ては、けして楽しいものではない(笑)と安心して言い合えるような場が、もっと増えたらいい。

そして、1人でも多くの人を、巻きこみながらする子育てが、これからもっと広がるようなお手伝いができればと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2021
01 / 17
17:37

かくれんぼ

かくれんぼ

生活していくのに必要なこと。

 

例えば、食事の支度や掃除・洗濯。

毎日、こなしてはいるけれど面倒なことでもある。

 

 

家族やパートナーがいれば、

私ばかり、どうしてしなければいけないの?

とか、

私だって働いてるし、疲れてるのは一緒。

私の大変さをちっともわかってくれない。

等の思いが湧いてくることもあるだろう。

 

更に、子育てや介護が重なれば不満もまた大きくなる。

 

 

こんな時は、

   私ばかり・・

   私だって・・

   私しか・・・

私、私のてんこ盛り状態、それがイライラを連れてくる。

 

 

そこには、

相手に期待しすぎている私がいないだろうか?

 

 

たとえ親や兄弟、長く過ごした間柄でも、

それぞれの考え方や価値観や感情がある。
お互いを理解するためには、自分の気持ちや考え方を言葉で伝えたり、

行動で表すことが必要になる。

 

 

頭では理解しているつもりでも、これがなかなか難しい。

特に、この思いが強すぎて困難を抱える方もいる。

 

 

それは、突然の怒りという形でやってくるかもしれない。

 

 

一体、

何が起こっているのだろう?

 

 

そこには、何も言わなくても、

私のしてほしい事を察知してほしい!

わかるのが当たり前でしょ。

という強い願いのようなものがあるのではないだろうか。

 

 

私と他者の境界が曖昧になってしまう時ともいえる。

 

 

「気づいてくれない」

「関心を持ってくれない」

「気遣ってくれない」

「大事にしてくれない」

更に進むと、

「誰も私の事をわかってくれない!」という絶望的な思いも見え隠れする。

 

 

そもそも、

手伝ってもらう選択肢だってあるのに、

頼めないのはなぜだろう?

伝えないのは何故だろう?

負担を減らし、楽しく生活するにはどうすればいいか?

建設的に話し合ってもいいのに。

何も言えない子どもじゃないのに・・

 

 

伝えることを邪魔するものって何?

 

 

どうせ言っても聞いてもらえないから?

怒って否定されて終わりだから?

苦手意識?罪悪感?

 

 

 

私がしてほしいことを伝えることなく、

黙っていたままで、

相手に全てを受け入れてほしいという思い。

特に親しい間柄で、強く現れてくること。

 

 

これは、

どこまでも深く愛情を求め続けている状態ともいえる。

 

 

悲しみ・絶望・放棄・虚しさ・孤独・憎悪

沢山の心の傷が疼く時でもある。

過去に繋がって、今でも起こっているもの。

 

 

あなたの内にあって、見え隠れする小さな者たち。

 

 

心理セラピーは、

かくれんぼのように、あなたの内に隠れた、

小さな子ども達を見つけていくことに似ている。

 

 

中には、鬼の声が届かない遠~い所に、隠れている子どもだっている。

見つからないように息をひそめて、じーっとしているそんな子には、

そ~っと、少しずつ、静かに、1歩ずつ近づく慎重さも必要になる。

見つけることから少し距離を置いて、その気配に気づくだけでいいこともある。

 

大切なのは、見離さないで置き去りにしないことなのだ。

 

 

隠れているのは一体どんな子?

見つけたその子に、ただ寄り添うことで一体、何が起こるだろう?

 

 

これまで生きてこられた、あなたが、あなたにいまできること。

そんな尊い体験をご一緒させていただけることを願っています。

 

2020
08 / 23
15:51

身体を通して思い出すこと

身体を通して思い出すこと

心理療法や瞑想など、

自分の内面に触れていくことを続けると、

ふと、身体そのものが柔らかくなった感覚に、

気づくようになります。

 

 

それは、残念ながら、急に、

Ⅴ字開脚ができるようになる、とか

ヨガの上級ポーズがとれるようになるなどの、

ミラクルなものとは違うのですが・・

 

 

歩いたり、踊ったり、日常の動作でも、

以前は緊張して固くなっていた、

自分の身体の部分に、気づくようになります。

また、日常の場面でも、

どこに力がかかっているか?に

気づくことが増えてきます。

 

 

筋肉の硬化(緊張)に気づけると、

その部分を意識的に緩めることができます。

気づいたら、

無理のない姿勢を取るようになります。

 

 

自分の身体に起こる状態に、

気づけなければ、

緩めたり整えたりすることはできません。

 

 

歴史ある、斬新的筋弛緩法と言われる

身体のリラックスを導く方法があります。

 

 

これは、

意図的に筋肉を強く緊張させ、

その後、一気に力を抜き脱力させることで、

身体に起こる緊張状態と

リラックス状態の違いを体感していく方法ですが、

この逆バージョンとも言えるでしょう。

 

 

不安や緊張、恐怖が起こる時、

自分の身体がどうなっているか?

に気づきやすくなるのです。

 

 

それは、

いつの間にか身体が、

滑らかになる、とか

しなやかになる、とか、

自分の身体の動きに、制限がなくなるような感覚です。

 

 

身体の制限が緩んでくると、

自分の内面から湧き上がる、

感情や感覚を察知しやすくなり、

それを表現する楽しみが生まれます。

 

 

思考の呪縛から離れること、

少し余裕ができている状態とでもいえるでしょう。

 

 

ダンスは、

身体を使って自己を表現するものですが、

心と身体の繋がりを実感できる、奥深いものでもあります。

 

 

 

私が最近、興味を持って試したものは、

アメリカのGabrielle Rothが考案した、
身体の動きを通じた、

動く瞑想と言われる5リズムといわれるもの。

 

 

フローイング(女性性)
スタッカート(男性性)
カオス(統合)
リリカル(子ども)
スティルネス(内なる霊性)

という5つのリズムを通して、踊ることを、

海の波にたとえ、Wavesと呼ぶそう。

 

 

何だか難しそうですが、ティーチャーが

自然に誘導してくれるので大丈夫です。

 

 

 

下手でも、恰好悪くても全然構いません。

身体の動きたいように、動かしてみる。

 

 

恥ずかしさや、抵抗が現れてきたら、

それに、ただ気づいていること。

そしてまた身体に意識を向けていく。

むしろ、どう見られるか?

恥ずかしい、という自意識から解放される時にこそ、
自分の一番奥深くのセンターに気づく体験になるかもしれません。

 

 

今、一瞬一時に身を任せ、

内から現われるものに抗わずに、そのままに・・・

動きが内側から「出てくる」ことを許していきます。

 

 

自分の内の奥深くと繋がることで溢れ出すものが、

身体を通して現れてくるような体験です。

 

それは、どこか懐かしい感覚であったりもします。

 

 

コロナの関係もあって、

最近は、オンラインで気軽に体験できるので便利です。

 

 

私も最初は、

知らない人同士で集まって踊るなんて、

敷居が高いな~と感じていましたが、

オンラインなら大丈夫でした。

 

 

誰に見られるわけでもないし、

ふりを覚えることもない。

型はなし!!

 

 

自意識や思考が現れても全然構わない。

そこから離れるのか?そこに留まるのか?

その時に任せればいい。

 

自然に現れる感情や動きに忠実になり、

普段の自意識や、コントロールから離れて、

自分と繋がる体験です。

 

 

また、

無心になること、

続けることで現れる、

とてつもない可能性に触れてくる体験となるかもしれません。

 

 

何が出てくるのか?

楽しみながら体験してみるのはいかがですか?

2020
08 / 07
11:09

愛されたい

愛されたい

<愛される女性、モテ女になるには>

<女性は、愛するより愛された方が幸せ>

そんなことを目にする機会ありませんか?

 

 

私は<愛される>のも<愛する>のも、どちらも幸せだと思います。

愛し愛される関係なら更に幸せですけどね。

 

 

そこで、

そもそも<愛される>って、どういう事か?考えてみました。

 

 

まず、自分に関心を持ってもらい、

更に自分の価値を認めてもらい、

大事にしてもらえる事でしょうか・・・

 

 

他に、○○されるという言葉からイメージすると、

相手からもらう事が前提なので、受け身で依存的な状態ともいえるかな?

 

 

もらう事が愛される評価基準になると、

相手から、もらえてないと感じた途端に、

愛情を計るものがなくなり、

不安になったり怒りを感じやすくなるかもしれません。

 

 

でも、相手の言動で愛情を計るって、

落ち着かないし疲れるし、

そもそも、どこまでしてもらったら満足するんだろう??

 

 

<愛されたい>欲求は、これでいいという事がなく、

もっと、もっと・・と際限ないもののようです。

 

 

更に、相手から愛されていたとしても、

自分に愛情を受け入れる器がないと満たされることがないから、

逆に苦しくなると感じます。

 

 

 

では「愛したい」はどうでしょう?

 

 

 

○○したいというのは、自ら望むことなので自立のポジション。

自ら望んでした事を、相手が喜んでくれて、

それを感じて更に自分も嬉しいから、2倍嬉しいという状態。

 

 

これって楽しそう!!

何より自分が主体なので、無理をすることがなさそうです。

 

 

~ここで、気づく事があります。~

 

 

自分に関心を持ってもらい、更に自分の価値を認めてもらい、

大事にしてもらえる事が<愛される>事だとします。

 

 

でも、たとえ相手から愛されても、

自分に愛情を受け入れる器がなく満たされないとしたら・・

どうでしょう?

 

 

<愛されたい>前に、

自分自身を愛してあげる事が、必要ではないでしょうか?

 

 

それは、自分に関心を持つことから始まります。

 

 

相手に求めてばかりいる自分に気づく、

受け取ることができない自分に気づくことです。

あなたの内で何が起こっているのでしょうか?

 

 

そこを丁寧に扱い続けていくことで、

相手に過剰に愛を求める必要もなくなっていくでしょう。

 

 

それは

依存から自立へシフトした先にある、

自ら<愛したい><愛してみたい>という、

新しい世界の始まりなのです。

 

 

 

2020
07 / 26
12:57

間

私は、邦画を好んで見る。

 


思いもよらぬ展開や、ハラハラドキドキ、

といったものも楽しいけれど、

最近は、

音楽で言ったらクレシェンドのように、

 

ゆっくり、ゆったりと盛り上がり、

次第に静けさが戻ってくるようなものが好き。

 

物語の「やま」は、けして派手とは言えないけれど、

その分、奥底まで深く振動するような感覚がある。

 

 

会話が途切れて、動きのない画面。

 

その間(ま)と、

一緒にいることで起こってくる、ワクワク感がいい。

 

 

 

静寂 無音 空間 に気づくと、

聴覚、触覚、嗅覚が敏感になるようだ。

 

 

間と間

 


慣れ親しんだ、沢山の情報、刺激から離れて、

静けさの中に溶け込むことで起こること。

 

 

静けさは怖さでもあり、

興奮でもあるようだ。

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