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もぐもぐ ごっくん
知りたいこと、気になること。
現代は、どこにいても簡単に、インターネットを利用すれば調べることができます。
手間をかけずに好きなだけ欲しい情報が手に入ります。
便利ではありますが、
誰かの言ったことをそのまま受け入れたり、何かに当てはめてしまうだけだと、
消化不良のようなもやもやが残る場合もあります。
人から聞いたことは本当であるとは限りません。
それは、その人の個人的な意見や体験だったりするからです。
丸呑みは消化不良を起こします。
鵜呑みにすること、を食べることに例えれば、
飲みこむ前に、まず、自分の歯で噛み砕くことが必要になるでしょう。
噛むことで、食物と唾液が混じり合って飲み込みやすい形状になります。
それが胃に取り込まれて消化されていきます。
外界から取り込んだものを、自分の栄養やエネルギーに変えるには、
まず、自分で咀嚼することが必要なのです。
疑問を持つこと、調べること、そして経験すること。
そんな身を持って体験する場が必要と感じます。
時間も手間も時にお金もかかるかもしれませんが、自分が体験して得られることは本物です。
体験することで磨かれるのは感覚です。
感覚と共にいることで、直感も冴えてきます。
直感は、危険を察知して身を守る動物的な性質のものから、
人間に与えられた創造性にまで繋がっているといわれます。
鈍った感覚を取り戻し、あなたの新たな未来に繋がる体験してみませんか?
開かれた場
似たような悩みや苦しみを持つ人達が集まる自助グループや、
依存症からの回復を目指すプログラムに、ミーティングと呼ばれるものがある。
それは、テーマに沿って、一人ひとりが仲間に語っていくというものだ。
他者の発言に批判はしないこと、言いっ放し聞きっぱなし、がルール。
数年前、私はスタッフの一員として参加していた。
当初は、ただ語るだけで何か変わるとも思えないし、意味のあるものなのか?と怪訝に思っていた所もあった。
毎回毎回、淡々と繰り返される話に、退屈や、もどかしさや、緊張や、動揺や、
その時々に現れる自分の色々な思いや、感情と共にいながら、皆の話にただじっと耳を傾け続けていた。
そんなことを続けていると、次第に、抑揚のない淡々としたあの場に、力のような何かを感じとるようになった。
それは、一体感とも呼べるような気持ちの良さだった。
今になって思うとあれは、
まさしく解釈や判断や評価を脇に置いた場であった。
語る者も聞く者も、互いに気負いのない場。
何を言っても大丈夫な場。
反論されることもないし、同意を求められることもない。
安全や安心感そのものとも言えるような場。
それに皆が包まれているような雰囲気を感じ取るようになったのだ。
そこには、わざとらしい肯定や、やんわりとした否定もなく、
存在そのものを尊重されることで生命が流れ出し、1つどこかに向かうような感覚だった。
日常で繰り返される関係では味わえない、不思議な体験だったといえる。
少しペースを落として、言葉と言葉の間や沈黙に呼吸を合わせてじっと佇む。
その静けさと共にいると時が止まったようにも感じられる。
そこから生まれる深い癒しのようでもあった。
何者かになるのを止め
あるがままに・・
する、から、在る、
へ、シフトしていく過程で起こること。
そんな力を信頼したセラピーを続けています。
身体を通して思い出すこと
心理療法や瞑想など、
自分の内面に触れていくことを続けると、
ふと、身体そのものが柔らかくなった感覚に、
気づくようになります。
それは、残念ながら、急に、
Ⅴ字開脚ができるようになる、とか
ヨガの上級ポーズがとれるようになるなどの、
ミラクルなものとは違うのですが・・
歩いたり、踊ったり、日常の動作でも、
以前は緊張して固くなっていた、
自分の身体の部分に、気づくようになります。
また、日常の場面でも、
どこに力がかかっているか?に
気づくことが増えてきます。
筋肉の硬化(緊張)に気づけると、
その部分を意識的に緩めることができます。
気づいたら、
無理のない姿勢を取るようになります。
自分の身体に起こる状態に、
気づけなければ、
緩めたり整えたりすることはできません。
歴史ある、斬新的筋弛緩法と言われる
身体のリラックスを導く方法があります。
これは、
意図的に筋肉を強く緊張させ、
その後、一気に力を抜き脱力させることで、
身体に起こる緊張状態と
リラックス状態の違いを体感していく方法ですが、
この逆バージョンとも言えるでしょう。
不安や緊張、恐怖が起こる時、
自分の身体がどうなっているか?
に気づきやすくなるのです。
それは、
いつの間にか身体が、
滑らかになる、とか
しなやかになる、とか、
自分の身体の動きに、制限がなくなるような感覚です。
身体の制限が緩んでくると、
自分の内面から湧き上がる、
感情や感覚を察知しやすくなり、
それを表現する楽しみが生まれます。
思考の呪縛から離れること、
少し余裕ができている状態とでもいえるでしょう。
ダンスは、
身体を使って自己を表現するものですが、
心と身体の繋がりを実感できる、奥深いものでもあります。
私が最近、興味を持って試したものは、
アメリカのGabrielle Rothが考案した、
身体の動きを通じた、
動く瞑想と言われる5リズムといわれるもの。
フローイング(女性性)
スタッカート(男性性)
カオス(統合)
リリカル(子ども)
スティルネス(内なる霊性)
という5つのリズムを通して、踊ることを、
海の波にたとえ、Wavesと呼ぶそう。
何だか難しそうですが、ティーチャーが
自然に誘導してくれるので大丈夫です。
下手でも、恰好悪くても全然構いません。
身体の動きたいように、動かしてみる。
恥ずかしさや、抵抗が現れてきたら、
それに、ただ気づいていること。
そしてまた身体に意識を向けていく。
むしろ、どう見られるか?
恥ずかしい、という自意識から解放される時にこそ、
自分の一番奥深くのセンターに気づく体験になるかもしれません。
今、一瞬一時に身を任せ、
内から現われるものに抗わずに、そのままに・・・
動きが内側から「出てくる」ことを許していきます。
自分の内の奥深くと繋がることで溢れ出すものが、
身体を通して現れてくるような体験です。
それは、どこか懐かしい感覚であったりもします。
コロナの関係もあって、
最近は、オンラインで気軽に体験できるので便利です。
私も最初は、
知らない人同士で集まって踊るなんて、
敷居が高いな~と感じていましたが、
オンラインなら大丈夫でした。
誰に見られるわけでもないし、
ふりを覚えることもない。
型はなし!!
自意識や思考が現れても全然構わない。
そこから離れるのか?そこに留まるのか?
その時に任せればいい。
自然に現れる感情や動きに忠実になり、
普段の自意識や、コントロールから離れて、
自分と繋がる体験です。
また、
無心になること、
続けることで現れる、
とてつもない可能性に触れてくる体験となるかもしれません。
何が出てくるのか?
楽しみながら体験してみるのはいかがですか
ドキドキゆっくり
緊張とリラックス。
この繰り返しは、私達の身体に日々おこっています。
緊張状態にある時は、
汗をかいたり、心臓がドキドキしたり、筋肉に力が入り固くなったり。
では、どんな時にその状態が起こるのでしょう?
それは、
仕事に集中している時、怖い体験をした時、怒りを感じている時、興奮した時、
楽しい時、好奇心や冒険心をくすぐるものに遭遇した時、
感激したり、不安や不快を感じる時。
楽しいドキドキ、ワクワクなら、感じていても苦にならないけれど、
苦しみを伴うようなドキドキが続くのは苦しいものです。
例えば、
疲れているはずなのに眠れなかったり、
他者から言われたことが後から思い出されて、好きなことをしても楽しくなかったり・・・
こんな風に緊張状態が続いたら、神経の休まる暇がありませんよね。
それは、とても疲れるし苦しいものであると思います。
緊張とリラックス。
この両方を行き来し、バランスを取るよう身体はできています。
では、リラックスしている時って、どのような状態でしょう?
身体では一体、何が起こっているのでしょう?
それは、
眠気を感じる。
呼吸がゆっくり深い。
筋肉が緩んでいる。
手足が暖かい。
心拍が落ち着いている。
など、緊張状態で感じた事とは、反対のことが起こっています。
では、その状態は、どんな時に起こるのでしょう?
それは、ホッと一息ついている状態。
自然に力が抜けて心地良さを感じる時です。
そんな環境にある時、それが起こっている感覚です。
色、匂い、音、味、触感
五感を使って、身体の内側で得られるものです。
実際にいま、対象がなくても、イメージできればOKです。
そんな、自分だけの脱力を発見すること。
どんな些細なことでも構わないので、是非、沢山見つけてあげて下さい。
人によっては、リラックスすることを許せない自分に気づくかもしれません。
緊張状態が続いていることに気づけたら、まずは呼吸に意識を向けて下さい。
私達は、ふだん無意識に呼吸をしていますが、
自分がいま、どのような呼吸をしているか?
に気づけば、呼吸の質や回数をコントロールすることができます。
息を吐く時には、副交感神経が働きます。
お臍の下の丹田を意識して、止めることなくゆっくり細く息を吐き切ってみて下さい。
吐き切ると自然に息を吸い込む準備が整っているはずです。
副交感神経の働きが高まり、交感神経とのバランスがとれるように、もともと身体はできているのです。
リラックスしている時は安心でいられる時。
安心安全な環境におかれることができなかった、と感じられる方にとって、
緊張が緩んでいる自分に気づけるようになること、それが基本です。
セッションを行う上でも、自分の安心感を知っていること。
それは大きな力になります。
苦しさや不安に遭遇しても、何度でもそこに戻れば良いのですから。
安心安全な感覚をチャージできれば、人は、自然に新たな探索行動に出かけることができるのです。
傷の処置もかわりました
以前は、切り傷や擦り傷などの処置は、消毒薬で患部を消毒し、抗生剤入りの軟膏をつけ、
その上にガーゼを当てて・・・という方法が一般的でした。
現在は(状態にもよりますが)消毒をせず、患部を水道水で十分に洗い流し、
被覆材で乾燥しないように、創を保護する方法に変化してきました。
「もともと備わる自然治癒力を促すこと」に注目された治療ですが、
邪魔をしない、そこにとどまる、待つこと、共にいること。
これって、
カウンセリングやセラピーと通じるものがあるな~と私は感じます。
カウンセリングやセラピーを受けていくと、様々な記憶や、感情や思いが溢れてくることがあります。
今まで、意識される事のなかった、私の中の少し深い部分に触れる体験です。
傷の処置の話に戻ると、この方法を試した方なら、おわかりかと思いますが、
治癒の過程の中で、浸出液が出て、何だかジュクジュクして、ちっとも治っていかないような、
むしろ悪くなっているようにも感じて、心配になったり焦ったりする時期があります。
ここが、カウンセリングの途中で、おこるものと似ているように、私は感じます。
でも、この浸出液には、
組織に入った細菌を、やっつける免疫細胞や、壊れた組織を治すために新しい組織を生み出す細胞など、
傷が治るのに必要な成分が沢山入っています。
その力を信用して、待つことが必要な時期があるのです。
一見、良くならないと思われる、その時期を、やり過ごす時間です。
とはいえ、良くならない・・という焦りから、従来の方法に戻したくもなります。
長年、親しんだ方法を用いることの安心感です。
生きていれば、辛いことは、直ぐにでも手放したいと願うのは当たり前、
少しでも早く、効率よく、楽になりたいですもの。
痛いのは嫌、苦しいのは皆、辛いです。
でも「元に戻る力」は、目には見えないけれど、
停滞していると思われる状況の中でも、じわじわと修復に向かって働いているのです。
だから、辛さと敢えている、のが必要な時期は、必ずあるのだと思います。
自分の取り扱い方法を、自分が知るために、この過程は、とても大切なところです。
自分を持つ力を信用してみる、試してみる、任せてみるという時期ともいえるでしょうか。
何かをしなければ・・・から、何もせず身を任せてみる感覚。
この時期は、自分に起っていることを観察し続けること。
そして、生きている細胞を乾燥させて死なせぬよう、
浸出液の力を十分に発揮できるような、環境を与えることが必要になります。
それは、食事や、睡眠・運動・休養だったり、
見たり、聞いたり、触れたり、嗅いだり、味わったり、の五感を使ってみたり、
同じように傷が治らず不安を抱える他者や、今は少し先を行く他者との関わりであったり、
その中で、新たな気づきが生まれてくることがあります。
浸出液は、誰もが持っているものです。
いつの間にか、自然に傷を治せる、皆に平等に与えられた贈り物です。
それを自分が受けとっていく、そんな感覚を取り戻す時間を、ご一緒させていただければと思います。