ブログ
傷の処置もかわりました
以前は、切り傷や擦り傷などの処置は、消毒薬で患部を消毒し、抗生剤入りの軟膏をつけ、
その上にガーゼを当てて・・・という方法が一般的でした。
現在は(状態にもよりますが)消毒をせず、患部を水道水で十分に洗い流し、
被覆材で乾燥しないように、創を保護する方法に変化してきました。
「もともと備わる自然治癒力を促すこと」に注目された治療ですが、
邪魔をしない、そこにとどまる、待つこと、共にいること。
これって、
カウンセリングやセラピーと通じるものがあるな~と私は感じます。
カウンセリングやセラピーを受けていくと、様々な記憶や、感情や思いが溢れてくることがあります。
今まで、意識される事のなかった、私の中の少し深い部分に触れる体験です。
傷の処置の話に戻ると、この方法を試した方なら、おわかりかと思いますが、
治癒の過程の中で、浸出液が出て、何だかジュクジュクして、ちっとも治っていかないような、
むしろ悪くなっているようにも感じて、心配になったり焦ったりする時期があります。
ここが、カウンセリングの途中で、おこるものと似ているように、私は感じます。
でも、この浸出液には、
組織に入った細菌を、やっつける免疫細胞や、壊れた組織を治すために新しい組織を生み出す細胞など、
傷が治るのに必要な成分が沢山入っています。
その力を信用して、待つことが必要な時期があるのです。
一見、良くならないと思われる、その時期を、やり過ごす時間です。
とはいえ、良くならない・・という焦りから、従来の方法に戻したくもなります。
長年、親しんだ方法を用いることの安心感です。
生きていれば、辛いことは、直ぐにでも手放したいと願うのは当たり前、
少しでも早く、効率よく、楽になりたいですもの。
痛いのは嫌、苦しいのは皆、辛いです。
でも「元に戻る力」は、目には見えないけれど、
停滞していると思われる状況の中でも、じわじわと修復に向かって働いているのです。
だから、辛さと敢えている、のが必要な時期は、必ずあるのだと思います。
自分の取り扱い方法を、自分が知るために、この過程は、とても大切なところです。
自分を持つ力を信用してみる、試してみる、任せてみるという時期ともいえるでしょうか。
何かをしなければ・・・から、何もせず身を任せてみる感覚。
この時期は、自分に起っていることを観察し続けること。
そして、生きている細胞を乾燥させて死なせぬよう、
浸出液の力を十分に発揮できるような、環境を与えることが必要になります。
それは、食事や、睡眠・運動・休養だったり、
見たり、聞いたり、触れたり、嗅いだり、味わったり、の五感を使ってみたり、
同じように傷が治らず不安を抱える他者や、今は少し先を行く他者との関わりであったり、
その中で、新たな気づきが生まれてくることがあります。
浸出液は、誰もが持っているものです。
いつの間にか、自然に傷を治せる、皆に平等に与えられた贈り物です。
それを自分が受けとっていく、そんな感覚を取り戻す時間を、ご一緒させていただければと思います。