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トラウマインフォームドケア
トラウマ(心的外傷)とは、「個人の力では対処できないような外的な出来事を体験したときのストレス」とされています。
一般的なストレスは、時間の経過や状況によって軽減したり無くなりますが、トラウマは長期間残って心身に様々な影響を与えます。
ただし、同じ出来事を経験しても、その人個人の捉え方や、ストレス耐性、社会的サポートの有無によって、トラウマになる場合とならない場合があります。
トラウマ的出来事には、生命を脅かす出来事(自然災害や事故、犯罪、暴力、性暴力、虐待、戦争を直接的に体験する、また誰かが被害にあうのを目撃する)が挙げられています。
日本では、約6割の人が、このようなトラウマ体験をしているといわれます。
それによって、PTSD(外傷後ストレス障害)<日本の生涯有病率は1.3%>やトラウマ関連障害を発症することがあります。
また、少し広い意味でのトラウマ(こころのケガ体験)となると、その割合は更に大きくなると考えられています。
たとえば、子ども時代に経験したあらゆるトラウマ(虐待やDV、いじめ、親の不在、収監、家族の自殺・精神疾患・薬物乱用など)も広い意味での「トラウマ」に含まれます。
いずれも逃げられない状況、繰り返されることで起こる慢性的な傷つきです。
また、不安定な愛着スタイルが不安定な人間関係を呼び寄せトラウマが重なることで、生きづらさやメンタルの不調を引き起こすともいわれます。
トラウマが長期にわたると、感情や行動や身体的反応のパターンとして残り、深刻な影響を与えるのです。
しかし、どのような体験がトラウマとなるか、それがどのように影響を与えているのか、目に見える体のケガと違って心のケガは、本人も周りからも分かりにくいものです。
近年、多くの人がトラウマ体験を持っていることを前提にして考える、トラウマインフォームドケア(こころのケガに配慮するケア)が日本においても注目されています。
医療・保健・福祉・教育・司法などの様々な分野で、過去のトラウマ体験が今に影響しているのかもしれないという視点を支援者が持ち、こころのケガについての知識や対応を身に着け再トラウマ化を防ぐものです。
さて、トラウマによる体の反応として、私達は危機状態に陥った時、闘う(Fight)、逃げる(Flight)、固まる(Freeze)という3つ の反応を示します。
これは、動物一般に備わった本能であり、自分の身を守るために起こる反応です。
そして、トラウマやこころのケガを思い起こさせるような出来事(リマインダー)を経験したときにも、いずれかの反応が起こることがあります。
一般的には、理解できない行動や言動も、その人にとっては、トリガー(引き金)となっている可能性もあるのです。
本人にとっては、危機状態であるかのように反応するのですが、周囲は平常であるため例えば、その場にそぐわない攻撃的な行動(Fight)や、過度に消極的な行動(Flight)、何も感じていない(Freeze)かのように映るでしょう。
身近な人や支援者は、トラウマやこころのケガへの理解と生活への影響について知識を持って関わり、もしかして・・という気づきを持つことが求められます。
トラウマティックな経験を聞き出すことではなく、治療するのでもなく、トラウマの知識を持って「いま あなたに何が起こっているの?」という眼差しで、相手の行動を理解しようとアプローチする。
周囲には問題と思われるような行動や振る舞いも、本人にとっては何らかの理由があると捉えてみる。
それには、支援者自身の固定観念に捕らわれない柔軟さと、謙虚な姿勢が必要になります。
当事者は、自己主張や選択の権利を奪われてきたことを理解し対等な関係を目指すことが大切です。
また、支援者も無力感を抱いたり、自分のトラウマ体験と重なって感情移入しすぎたり、怒りや不信感を向けられたりして逃げたくなったり、関わりを避けたくなったりと間接的にトラウマの影響を受けることがあります。
そんな時にも、トラウマインフォームドケア(TIC)が役に立ちます。
自分の気持ちに気づくことができる、できたことに目を向けてみる。
緊張や不安があれば、「私にいま何が起きている?」と自分に向き合い身体に意識を向けていきます。
呼吸はどうなっている?力が入りすぎていない?とモニタリングする。
身体に気づけば、息を整える、力を抜くなどのセルフケアができます。
そして、当事者がひとりでは回復できないように、身近な人や支援者もひとりではサポートできません。
無理のない支援を行う、支援者同士が尊重し合い助け合い、チームとしてどのようなことができるかを安心できる場で話し合う。
話し合いは、無理に話さなくてよいこと、誰かを責めるものではないことを保証する安全な場であることが必要です。
そして、十分な休息が取れ、ストレス解消ができるなどの職場環境を作るのが重要となります。
ケアするものがケアされる場が求められるのです。
トラウマインフォームドケアに取り組むとは、当事者にとっても支援者にとっても、トラウマ体験から回復する力を信じ、誰かと繋がりながら自分のコントロール感を少しずつ取り戻し、選択肢を増やしていく。
本来、誰もが持つ力を引き出していける、しなやかな社会を作ることに繋がっていくのだと思います。
こころの多様性
現代社会では、多様性の理解、尊重、協働が求められています。
とはいえ、他者との違いを受け入れることは、容易でないと感じる方も多いかもしれません。
他者と出会うとは、私とあなたの違いに出あうことでもあります。
ですから、他者との関わりで、思い悩んだり心かき乱されるのは日常茶飯事でしょう。
でも、受け入れがたい人とは、自分を知るきっかけになる人でもあります。
心理学で言われる投影といわれるもの。
自分の内にある認め難い衝動や感情を、他者が持っていると押し付けることで自分を守る防衛機制の1つです。
ユング心理学で言われる影とも関連しています。
影は、自分の内にある否定的な側面です。
自分の内にある認めがたいもの。
それが、相手に映されることで苦しみが生まれます。
内なる影 。
排除しようとする対象は、ずっと自分の内にあるもの。
場合によっては、うっすらとそれを感じることもあるでしょうし、表舞台に現れることなくずっと奥にしまい込まれたものもあります。
あなたにはあって、私にはない。
私にはあって、あなたにはない。
あなたが他者に感じる違和感を、まずは大切にしましょう。
それは、あなたの内にある様々な存在との出会いのきっかけでもあるからです。
いまここ現れる嫌なものに興味を持って、それと居てみる体験。
これは何だろう?っていう好奇心を武器に、それらと交流を試す体験。
いずれも、あなたの内の影に光を当ててみる体験です。
それは、コインの表と裏のようなもの。
相反するものではなく1つの側面なのです。
自分の内の多様性に気づき受け止められるようになること。
内なるわたしへの理解、尊重、協働。
それは、きっと他者にも開かれることとなり、真の出会いに繋がっていくことでしょう。
わたしとあなたの距離
「ゲシュタルトの祈り」
わたしは、わたしの人生を生きる。
あなたは、あなたの人生を生きる。
わたしは、あなたの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。
あなたも、わたしの期待に応えるために、この世に生きているわけではない。
わたしは、わたしです。
あなたは、あなたです
もし、偶然お互いが出逢えば、それは素晴らしい。
もし、出逢えなくても、それもまた良し。
出典:守谷 京子 「初めて出逢う自己像」
ゲシュタルト療法の創始者である、フレデリックパールズのゲシュタルトの詩。
あなたは、どのような印象を受けるでしょうか?
私は当初、冷ややかで、淡々として、殺風景で、他者を寄せ付けない、何か寂しさのようなものを感じたりもしました。
いまは、その思いも残しつつ新たに、割り切った、こだわりのない思い切りの良さ、潔さ、肝の据わった力強さ、自由さを感じます。
人間関係で必ず現れる境界の問題。
私とあなたの距離を意識されたことがあるでしょうか。
わかりやすい所では、パーソナルスペースと言われる、他者が近づくことで現れる不快な空間や距離。
人それぞれ感じ方に違いはあれども、ご自分はどうなのか?意識してみると良いかもしれませんね。
もちろん、距離が遠いから近いから、どちらが良い悪いということではありません。
何故なら、自分と相手の安心な距離は違うからです。
更に言うなら、自分の内の安心の種が育っている方もいるし、そうでない方もいる。
しかも、種を育てる器の耐久性(安全)にも関係するからです。
例えば、親密な関係になりたい相手とは、距離を縮めたいと願い、互いに関係を深めていくでしょう。
でも、実は近づかれることに抵抗があるのに、断れなかったり。
そもそも、関係を深めたいのかもわからない・・・なんてこともあるかもしれません。
これは、自分と他者。わたしとあなたの境界が曖昧になってしまう時、
更に、安心の種が育つはずの器が弱い事も関係します。
相手の事をあれこれ詮索したり、全て把握しないと落ち着かない。とか、
相手の意思を聞かず、自分の思う通りに先回りしてやってしまう。とか、
相手の問題を自分が肩代わりする。とか、
相手の望むことを優先させて、自分を満足させる。とか、
自分の欲求を伝えずに、相手を動かそうとする。とか。
もともと持つ素質や、おかれた環境もあいまって、勝手に侵入する、侵入される。
それって、案外、日常に溢れているのではないでしょうか。
また、こんなこともあります。
侵入される感じがわからない。
逆に過敏に侵入されたと感じ、攻撃的(防衛)になる。
そもそも器が育たないと、わたしは曖昧なものです。
器が育つことで、はじめて、わたしを体験することができるので、
その時々に他者との距離は自分で決められるようになります。
忖度の言葉に表されるように、相手の気持ちを推し量る、相手の立場になって考えるなど、
馴染みの教えで育ってきた者としては、相手に合わせることばかりをしてきた付けが回り、
わたしに出合うことを遠ざけてきた、と言えるかもしれないですね。
他者との関係を築くには、結局、相手に尋ねていく、対話を続けることでしか、
相手の真意はわからないし、そもそも本当に理解しあうことはできないのかもしれません。
それでも、人は誰かに何かに出会いたい。
そのために、自分と出合う時が必ずやってくるのでしょう。
他者との違いを感じることは、普通に起こります。
それを感じた時、自分の内に何が起こるのか?興味や好奇心、関心を持って、見つけていくのです。
わたしに出合う。
あなたもあなたに出合う。
真の出会いは、そこから起こるのです。
そんな厄介で面倒で複雑で、実はシンプルな世界を、楽しく美しく素晴らしいものに変えていくことは、
人に生まれた醍醐味でしょう。
パールズの詩は、そんな力強いメッセージのように感じます。
兆し
一体、どうしたらよいのか?
神頼みで、いつか引いたおみくじ。
そこにあった「兆し」の文字。
良い兆し?悪い兆し?どちらなのだろう?
その意味が分からず、
答えを求めモヤモヤが残った。
一刻も早く楽になりたい、と願いながら、もがきながら、
繰り返される毎日を淡々と過ごすしかなかった。
何かの出来事によって、もたらされる困りごと。
いま、あなたに起こっていること。
それは、あなたへのメッセージ。
あまり歓迎されない出来事によって、やってくるもの。
正しい⇔間違い
良い⇔悪い
勝ち⇔負け
強い⇔弱い
分断させて、裁いたり裁かれたりすることで起こる悲しみや苦しみ。
分断された、それぞれの欲求を十分に満たしていく実験のような場。
いまここに現れる気持ちや、思いや、感情、体の感じ。
それと一緒に、沈黙とひととき過ごしてみる。
そこに現れる思いや気持ち。
どんな些細なものや、矛盾していたって構わない。
大切なのは、起きていることを無いものにしないことなのだ。
どれだけあなたが表現するのか?
安心感を大事にすることも勿論あっていいし、
少しだけ勇気を出して試してみるのもいい。
できない!と断ってもいい。
行きつ戻りつする、ありのままの体験に触れる力がもたらすもの。
身動きが出来ず、窮屈で息苦しく、
真っ暗で、先の見えない不安に眼差しを向けていこう。
それが、既にあなたの兆しだから。
本来、誰にでも備わった恵み。
それを思いだす過程を、ご一緒させていただけたら嬉しいです。
怒り 祈り
悪いものとして排除されがちな感情の1つに怒りがあります。
怒りを向ける人も、向けられた人も、突然現れる怒りには太刀打ちできないかもしれません。
それだけ怒りは強い力を持っているのでしょう。
怒りを持つこと自体は悪いことでもありません。
ただ、自分が怒りそのものになってしまうと、相手を傷つけ自分をも傷つけてしまうことになります。
身体は知っています。
怒りが現れる意味を。
ゲシュタルト療法には、怒りになってみるというワークがあります。
何故、怒りが起こるかを分析したり、怒りについて話すのではなく、
怒りを忌み嫌わず、興味を持って接し表現してみます。
「怒り」そのものになってみる、と何が現れるか?実験してみるのです。
また、フォーカシングのように、少し時間をとって怒りと共に佇むと、内にどんな感じが起こるのか?
興味を持って注意を向けてみます。
評価や判断、解釈などの考えが浮かんで来たら、それはそのままに、身体はどう感じているか?に焦点をあて直してみます。
怒りを表現することに抵抗を感じる方もいるでしょう。
怖い、格好悪い、恥ずかしい、馬鹿馬鹿しい、などの気持ちや感情が湧くかもしれません。
それはそれで、大切なあなたの気づきなのです。
その場で現れるものをけして無いものにせず、マインドフルな姿勢で関わる場。
幾層にも重なった心の内に、ゆっくり触れていく体験です。
そのままありのまま、現れるものに、ただ気づき、出会っていく過程で起こる力を信頼したセラピーを行っています。
怒りは、一体、あなたに何を伝えたいのでしょうか?