新しい年が始まりました。
今年も皆様にとって幸多き年となりますよう、お祈りいたします。
多くの出会いに恵まれる1年でありますように・・・
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。
今までも、これからも・・・
人との出会いや関わりの中で、成長する力を皆、持っていると感じます。
人間関係で困りごとを抱えている方が多いと思われますが、人は「相手を通して自分を見ている」といわれます。
心理学的に言えば投影といわれる部分ですね。
たとえば、あなたが、苦手だと感じる人の特徴って決まっていませんか?
それは、「自分なら絶対しない!」 という、あなたの中の禁止事項に当てはまる人ではないですか?
無意識の中で自分が、諦めてきたり我慢してきたことを、平気でやっている相手だったりします。
それに苛立ちや嫌悪感を覚える場合があります。
成長する過程で、手放さざるおえなかったものを、いとも簡単にしている、ここに反応していたりします。
自分は、相手の何が苦手だと感じるのか?それはどうしてなのか?注意を向けてみてください。
「相手の言動で自分を知る」という、ちょっとした作業をすると、
自分が相手に映し出している「影」が見えてきたりします。
深く言えば、苦手な相手の部分は、実は自分にもある部分だけれど、認めたくないものでもあるのです。
それは、認めてしまったら生きていけない、恐ろしさであったかもしれません。
自分を守るために必要だったことかもしれないのです。でも、それは、まだ必要なことなのでしょうか?
それに気づくこと、
認める、許すまではいかなくてもいいのです。
仕方がないな~と、少し居場所を作れるようになれると、相手との関係は自然に変化していくでしょう。
出会いは必然。
相手を通して自分を知ること、自分の成長のために、人との出会いがあるとするなら、
たとえ苦しい思いをした相手でも、いつか感謝できる事があるかもしれませんね。
悩みって、自分が変化するために時々、現れる課題みたいなものだと思います。
人間は、一生をかけて変化し成長するものだと思うので、一皮むけて、
また、新たな自分に出会える機会、時期が必ずあると感じます。
時間の経過や環境の変化によって、いつの間にか自然に解決していたり、
それ以前に悩んでる暇はない!!って方もいるかもしれませんが・・・
他にも、もう解決済と思っていたこと、成り行きで、何となくクリアしてきたけれど、
未解決だった自分の課題が、何かのきっかけでパターンとして現れてくることもあるでしょう。
根本的な自分の問題に気づかなければ、それは周囲の人が変わっても、環境が変わっても、
同じように、いつか困りごととして現れてくるでしょう。
それは、自分が自分に気づいてほしい!大事にしてほしい!というメッセージなのですから。
例えば相手に対する不満を、怒りとして表現してしまう場合。
恋人でも夫婦でも親子でも・・・
何故、自分は怒るのか?を考えた事がありますか?
まず、怒りの裏には、自分をわかってもらえていない!という気持があるのではないでしょうか?
「一生懸命やっているのに!!こんなに辛いのに!!大変なのに!!」って・・・
特に近しい間柄では「わかって当然でしょ!!」という、支配的な思いを持つこともあります。
こんな風に、わかってもらいたい!!という気持の奥には、何層もの思いや記憶があります。
「もっと自分を理解してほしい、優しい言葉をかけてほしい、構ってほしい、大切にしてほしい・・・」
そう・・
自分の思った通りに愛してほしい欲求です。
怒りをぶつけて一体、何を得ようとしているのか?
本当の自分の気持ちに気づいてあげること。
怒りを、ぶつける事では、根本的な解決にはなりません。
それどころか、その怒りのせいで大切な人を失ってしまう事になりかねません。
相手に解決策を求めてばかりでなく、自分の課題に気づいていく勇気を持つことは、
本物の幸せに近づくための、確実な方法の1つではないかと感じます。
今が辛くても、不安でも、最後に救ってあげられる人は、あなたです。
自分の中には色んな自分がいます。
ダメと感じる自分もいれば、気にいっている自分もいる。
色んな自分が、その時の状況や、環境で現れてくるかもしれません。
一見、矛盾しているような、相反する思いを抱いていることだってあります。
例えば・・・
結婚したい!と思っているけれど、いざ、その機会になると、自ら結婚を遠ざけてしまうなど、
無意識にある自分の恐れや不安が、そうさせることがあります。
幸せになりたいはずなのに、いつも同じようなパターンを繰り返して、失敗してしまう、とかもそう。
これらは一見、矛盾していますが、自分にとって不利な行動パターンをとる事で、
過去、何かを得ようとしてきたとか、実際に得たものがあったのかもしれないですね。
潜在意識では、幸せになってしまう事が怖い、それを手に入れると、失うものがあるのかもしれません。
いずれにしても、矛盾した、その方法で、自分を守ってきたとも言えるでしょう。
自分の中にある幾つもの自分は、あなたを幸せにしたくて、やってくる気持ちです。
それに気づくこと、嫌な感覚や感情も排除しないで、たとえ少しの間でも居場所を作ってやること。
そうすることで、自分が自分と繋がり楽になっていきます。
カウンセリングセラピーKIZASHIでは、カウンセリングやワークを通して、そのお手伝いをさせていただきます。
自分にジャッジしないで生きるって難しいと感じます。
人は、自分の言動について良いか? 悪いか?好きか? 嫌いか?正しいか? 間違っているか?
の判断をして日々、過ごしています。
こうじゃなきゃ駄目!っていう自分の中の判断基準。
それは一見、社会の基準にのっとっているように見えて、実は自分の中だけの事だったりもする。
自分の中の基準に沿うことは何より安心。
特に今までそれで困ったこともないし、皆と同じで間違いもなさそう。
それをしていれば、まあ何とか社会には適応しているしね。
自分を必要とされているという承認欲求も満たされているし・・
でも、その基準って、本当に自分で決めた基準なのだろうか?
誰かに言われたり、勝手に空気を読んで学んできた基準だとしたら?
長い間に、自分で作り上げてきた基準は、案外、親や周囲から刷りこまれてきた事だったりする。
人には優しく、人が嫌がることをしない、人に迷惑をかけない・・・とかね。
こういうことができない人を、目の当たりにした時に、強い怒りを感じる方は、
自らの意志でなく、他者からの教えを、今でも忠実に守ろうとしている可能性があるかもしれませんね。
自分が、したいからするのであれば、何も人に同じことを求めなくても良いわけです。
また、自分の中の見たくないものを、無意識に相手に映し出してしまうということもあります。
どちらにしても、相手に怒りを感じる時点で、自分にジャッジしているんです。
だから相手にも〇か×かを出したくなるんですよね。
あなたの中の基準って何ですか?
あなたの価値観って?
それは、本当にあなたが大切にしたいと思っていることでしょうか?