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2019-04-15 16:55:00

ジャッジしない生き方2

あなたは自分に優しくする方法を知っていますか?

どこかに出掛けたり?

美味しいものを食べたり?

ゆっくりと身体を休ませたり?

欲しいものを買ったり?

自然に触れたり?

 

 

人それぞれ思いつくことは違いますが、

自分が喜ぶことをしてあげよう!と思うのではないでしょうか。

 

 

自分が心地よいことを思いきりするのは大切なことです。

例え些細な事であっても自分が喜ぶ、ほっとするという事を、

普段から、沢山見つける事は自分探しのようで楽しいものです。

 

 

他にも、自分に優しくする方法があります。

もっと深く、自分に優しくできる方法ですよ。

 

 

それは、

自分の嫌な部分を見ないようにしない、押し込めないということです。

 

嫌だなと思う感情が現れてきたら、否定も肯定もせず、ただそれとともにいること。

 

自分勝手だって思っている自分がいるな~

他人のせいにしている自分がいるな~

ダメな人間だって思ってる自分がいるな~など

 

 

ただただ、今、自分におこっていることを、自分が気づいているだけの状態、

感情を眺めているというイメージです。

 

 

えっ!?

それって、全然、自分に優しくしていないんじゃない?

そう感じる方もいるでしょう。

 

 

でも、心の奥に普段は、しまわれている自分の怒りや、悲しみや、狡さや、弱さは、

生きるうえで必要な、大切な力であり、今まで自分を守ってくれていたものです。

それを認めてほしくて、いくら抑えこんでも、何かのきっかけで、

タイミングを見計らっていたかのように必ず、その部分は出てきます。

 

 

ずっと、長い間、あなたに気づいてほしかったこと。

 

まず、そこに居場所を与えてあげる事が必要です。

 

無視しないで、その感情をに関心を示してあげることです。

 

 

「どうしたの?」

「でてきたね~」

って、居場所をほんの少しでも与えてあげること。

 

すると、段々、落ち着いて静かになっている、自分に気づけるかもしれません。

それを続けると、心の奥の深い怒りや悲しみは段々と形を変えていきます。

普段の自分と混じりあって、今までとは違った味わいのある姿に変わっていきます。

 

 

人の言動に振り回されていると感じる方、

対人関係で、いつも出てくるパターンのようなものを感じている方。

「あの人はどうして私をわかってくれないのだろう?」

そう思う方はまず、自分の心に何が起こっているのか?興味を持ってみることです。

 

 

それができてくると、怒りや悲しみの感情に、振り回されることが少なくなり、

今までの人間関係に変化が起こってきます。

 

 

でも、これには練習が必要です。

今まで、良い自分にしか光を当ててもらえない日常を送ってきたのですから、無理もありません。

 

 

自分を変えようと努力するよりも、ありのままの自分で、い続けようとする事に勇気を持ち、

ゆっくりと時間をかける時、初めて人は変化するのです。

 

 

KIZASHIでは、ゆっくりと自分の身体の中におこる出来事に気づくことで、

 

あなたが、あなた自身を頼りにできるようになれるよう、お手伝いをさせていただきます。

 

ジャッジしない生き方2

2019-03-24 19:13:00

感受性の高さ

感受性が強い人って、どんな人だと思いますか?

人情に厚く、あたたかい心をもつ人?

人の些細な変化に気がつくことができ、心配りができる人?

 

今流にいえば「空気をよみやすい人」と表現できるのかもしれません。

 

私の周りにも、沢山の感受性豊かな方がいます。

いずれも、私にとって安心できる仲間たちです。

 

感受性の強い方は、ものごとの細かい部分まで感じとれるので、対人面において、

気疲れしたり、傷つきやすいといった、敏感さを持ち合わせている人ともいえるでしょう。

 

 

他者に対するアンテナが高すぎるために、感情移入しやすく、相手の問題を自分の事のように感じすぎたり、

相手を優先してばかりで、自分を大事にできなかった経験もあるかもしれません。

 

 

でも、あなたの持つその特性は宝物でもあるのです。

 

小さなことで傷つくその心は、どんな些細なものにでも感動出来る純粋さも持ち合わせています。

それは、どんな時でも、どこにいても自分の心を豊かにすることができる力です。

また、あなたの高い共感力は、周囲の人に幸せな気持ちをもたらすでしょう。

 

 

では、感受性の豊かさという宝物を活かしていくためには、どうしたらよいのでしょうか?

それは、

「相手に感じる感情を、自分に戻す」事です。

例えば

「この人怒ってる?」「迷惑なのかな?」と感じた時、

そっくりそのまま、

「私は今、この人が怒っているのかな~?って感じてるな」

「私は今、この人が迷惑じゃないのかな?って感じてるな」と

今、自分が感じている事を眺めてみればいいのです。

 

 

そうすることで、自分の感情と他者の感情をわけることができます。

 

相手が、どう感じているか結局は、相手しかわからない、あくまでも自分の推測でしかないのです。

投影とも言われる、自分の心を映し出すことによって感じるものでもありますが、

感受性の高さが引き起こすことと言えるかもしれません。

 

まずは

「自分の思いと相手の思いに線を引くこと」が大切です。

 

自分が、ただそう感じているのだな、ということです。

その思いに良い悪いもなく、ただそう感じているのだね、と自分の思いを、その場に置いておくのです。

 

 

ここで注意したいのは、例えば

「この人怒ってる?」って感じている時、

「また、こんなこと気にしてる・・私ってダメだな」等と押し込まないこと。

 

あくまでも今、私が感じていることは、良いも悪いもないのです。

そこに、解釈や判断をいれるから苦しくなるのです。

ただただ、自分に起こる感情や記憶や感覚と共にいる練習をします。

 

 

これは、マインドフルネス瞑想や、気づきの練習によって、

自分と他者との間に起ることを、区別できるようになることで、楽になっていきます。

 

さらに、ありのままの自分を感じられる強さと、心地よさが手に入り、

 

無駄な苦しみが少なくなり、いざ!という時に、本来の力を発揮できるようになっていくでしょう。

 

感受性の高さ

2019-02-03 17:19:00

怒り

思春期の子ども達は、

親に「心配をかけたくない」「迷惑をかけたくない」と思っているようです。

 

親からしてみると、え~??普段あんなに、わがままなのに??と思ったりもしますが、

実は子どもは子どもなりに、親には気を使っているようです。

そして、気をまわしすぎてもいるとも感じます。

 

1人で何とかするから大丈夫。これ以上、親には迷惑をかけたくない、という言葉が保健室でもよく聞かれました。

 

家庭という外から遮断された空間の中で日々起る出来事を、目の当たりすることで、

子どもなりに感じることのようです。

また、自立と依存の狭間にある時期、特有の課題ともいえるのかもしれません。

 

 

ただそこに「ありのままの私ではいけないのだ」という思いが見え隠れすることがあります。

 

○○ができない自分はダメな子

悪いのは自分

 

目に見える形、評価が愛される基準になりやすい現代、ありのままの自分を認めてもらえることで得られる、

安心感を持っている子どもが少ないように感じます。

 

 

少し時間を戻して、今よりもっと小さな子どもだった時期。

子どもが、生きていくためには、親や大人からの世話や愛情が必要です。

とはいえ、自分の要求が全て通らない事は当たり前にありますし、それを学ぶことで人は成長していきます。

 

問題になるのは、

子どもらしい、ふるまいをすることを禁止される、

甘えたい時に甘える事が許されない、

泣いたり怒ったりの感情を表出することを禁止される等、

自己の存在の否定につながるような、満たされない経験が継続する環境です。

 

その満たされない思いは、心の奥に、ひっそりとしまいこまれます。

 

何故なら、親に愛されないと感じることは、小さな子どもにとっては、

自己の生命の存続に関わる危険な状態であり、恐怖でもあるからです。

 

そこで、子どもは、恐怖を感じないために、自分に原因があるのだ自分が悪いのだ、

と思うようになります。

本当は、親の非情ともいえる言動に対して、怒りだってあるはずなのに・・・

 

親に向ける怒りを、自分自身に向けることで恐怖を感じないようにしたのかもしれません。

安全に安心に生きていく環境を作るためには、自分を悪者にする方が簡単だったからです。

 

それは自分を守る、何とも切ない方法ともいえるでしょう。

 

大人になっても無意識にしまいこまれたその思いは、人間関係の問題として現れてくることがあります。

 

相手から拒否され傷つく事を恐れるため、自分を偽り、他者の評価を気にしすぎてしまう等、

周囲に振り回される感覚を持ちやすく、疲れてしまいます。

 

そして、自分は何に困っているのか?何をしたいのか?がわからない、

自身の感情や感覚に鈍感な状態は、生きづらさを生みます。

 

更には、親と同じような深い愛着対象(恋人や夫、子どもなど)ができると、

抑えこまれていた、この部分が浮上してくることがあります。

 

 

私は・・・・

愛されていないのではないか?

見離されてしまうのではないか?

嫌われてしまうのではないか?

 

 

過去の恐怖を感じる出来事が再現されることで現れてくる、

相手に対する攻撃性、自分に対する攻撃性です。

 

 

「怒り」は、あなたに知ってもらいたい事を、気づかせるためにでてきます。

 

好ましくない感情の代表ともいえる「怒り」を大切に扱っていく事で、得られるものがあります。

 

 

それは、あなたが、これからの人生を、楽に生きるために繋がっている事なのです。

 

怒り

2019-01-06 16:50:00

出会いは必然

新しい年が始まりました。

今年も皆様にとって幸多き年となりますよう、お祈りいたします。

 

   多くの出会いに恵まれる1年でありますように・・・

今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

 

 

 

今までも、これからも・・・

人との出会いや関わりの中で、成長する力を皆、持っていると感じます。

 

人間関係で困りごとを抱えている方が多いと思われますが、人は「相手を通して自分を見ている」といわれます。

心理学的に言えば投影といわれる部分ですね。

 

 

たとえば、あなたが、苦手だと感じる人の特徴って決まっていませんか?

 

それは、「自分なら絶対しない!」 という、あなたの中の禁止事項に当てはまる人ではないですか?

 

無意識の中で自分が、諦めてきたり我慢してきたことを、平気でやっている相手だったりします。

それに苛立ちや嫌悪感を覚える場合があります。

 

成長する過程で、手放さざるおえなかったものを、いとも簡単にしている、ここに反応していたりします。

 

 

自分は、相手の何が苦手だと感じるのか?それはどうしてなのか?注意を向けてみてください。

 

 

「相手の言動で自分を知る」という、ちょっとした作業をすると、

自分が相手に映し出している「影」が見えてきたりします。

 

 

深く言えば、苦手な相手の部分は、実は自分にもある部分だけれど、認めたくないものでもあるのです。

それは、認めてしまったら生きていけない、恐ろしさであったかもしれません。

自分を守るために必要だったことかもしれないのです。でも、それは、まだ必要なことなのでしょうか?

 

それに気づくこと、

認める、許すまではいかなくてもいいのです。

仕方がないな~と、少し居場所を作れるようになれると、相手との関係は自然に変化していくでしょう。

 

 

出会いは必然。

 

相手を通して自分を知ること、自分の成長のために、人との出会いがあるとするなら、

 

たとえ苦しい思いをした相手でも、いつか感謝できる事があるかもしれませんね。

出会いは必然

2018-12-09 22:05:00

未解決の課題

悩みって、自分が変化するために時々、現れる課題みたいなものだと思います。

 

人間は、一生をかけて変化し成長するものだと思うので、一皮むけて、

また、新たな自分に出会える機会、時期が必ずあると感じます。

 

時間の経過や環境の変化によって、いつの間にか自然に解決していたり、

それ以前に悩んでる暇はない!!って方もいるかもしれませんが・・・

 

他にも、もう解決済と思っていたこと、成り行きで、何となくクリアしてきたけれど、

未解決だった自分の課題が、何かのきっかけでパターンとして現れてくることもあるでしょう。

 

根本的な自分の問題に気づかなければ、それは周囲の人が変わっても、環境が変わっても、

同じように、いつか困りごととして現れてくるでしょう。

それは、自分が自分に気づいてほしい!大事にしてほしい!というメッセージなのですから。

 

 

例えば相手に対する不満を、怒りとして表現してしまう場合。

 

恋人でも夫婦でも親子でも・・・

 

何故、自分は怒るのか?を考えた事がありますか?

 

まず、怒りの裏には、自分をわかってもらえていない!という気持があるのではないでしょうか?

「一生懸命やっているのに!!こんなに辛いのに!!大変なのに!!」って・・・

 

特に近しい間柄では「わかって当然でしょ!!」という、支配的な思いを持つこともあります。

 

こんな風に、わかってもらいたい!!という気持の奥には、何層もの思いや記憶があります。

 

 

「もっと自分を理解してほしい、優しい言葉をかけてほしい、構ってほしい、大切にしてほしい・・・」

そう・・

自分の思った通りに愛してほしい欲求です。

 

 

 

怒りをぶつけて一体、何を得ようとしているのか?

本当の自分の気持ちに気づいてあげること。

 

 

怒りを、ぶつける事では、根本的な解決にはなりません。

それどころか、その怒りのせいで大切な人を失ってしまう事になりかねません。

 

 

相手に解決策を求めてばかりでなく、自分の課題に気づいていく勇気を持つことは、

本物の幸せに近づくための、確実な方法の1つではないかと感じます。

 

 

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