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こそだて
子どもにイライラしてしまう。どうしても優しくできない・・・
そう悩んで自分を責めてしまうお母さんは、実は沢山います。
子どもは自分の思い通りにならないと分かっていても湧き上がる不快感や怒り。
その感情の奥には、あなた自身の中にずっと眠っていた「未解決の感情や記憶」が隠れているのかもしれません。
子どもは、親の心をありのままに映し出す鏡のような存在です。
子育てを通して揺れ動く感情は、過去のあなたが言えずに飲み込んだ想いや、置き去りにしてきた自分自身からの「私に気づいて」というメッセージでもあります。
子どもは自分にとって一番近い存在ですが、自分とは違う「ひとりの人間」です。
違っているからこそ、お互いを理解しようとするプロセスが生まれます。
相手を変えようとするのではなく、自分を責めて傷つけることもなく。
湧き上がる違和感を「なぜそう感じるんだろう?」と丁寧に受け止めてあげること。
その眼差しが、子どもとの関係を、そしてあなた自身の心を少しずつ変化させていきます。
更新日2026.8.20
記憶
古い本の匂いに包まれながら記憶を辿ると、すっかり忘れていた「幼い頃の私(インナーチャイルド)」の感覚が蘇ってきました。
大人になった今の私から、幼かったあの頃の私へ。
更新日2026.8.14
香りの処方箋
それらを嗅ぐと理屈抜きでホッとするのは、過去の安心した記憶と香りが深く結びついているからです。
それだけでも、疲れた脳を休める手軽なセルフケアになります。
【心の深部にある感情と向き合うカウンセリングのご案内】
更新日2026.8.14
看取り
超高齢化社会を迎え、尊厳死や在宅ケアなど、人生の終末期のあり方は大きく変化しています。
死は誰にでも等しく訪れるもの。
だからこそ「自分や家族がどのような最期を迎えたいか」を考える機会は増えました。
けれど、それを身近な家族と話し合うのはどこか怖く、避けてしまいがちなテーマでもあります。
特に、大切な人の衰弱していく姿を前にしたとき、私たちは無意識に「何かをしてあげなければ」という強い焦りや不安にとらわれます。
食事や水分が摂れなくなり、呼吸が少しずつ静かになり、終わりに近づいていく時間。
「ただ静かに見守る」ということは、残される側にとって恐れや葛藤を伴う体験です。
私たちは常に「何かをすること」に慣れていて、自然に命を引き取る場にただ身を置くことに慣れていないからです。
死にゆく人、それを見送る私たち。
その最期の時間を共に過ごすとき、まずは自分の中にある「何かをしなければ」という焦りや不安、死への恐れにそっと気づいてみてください。
「ただ、いま同じ空間に共に在ること」
命の終わりの瞬間に寄り添う体験は、生きている私たちに「自分自身の生と死」を静かに問いかけてくれます。
その時間こそが、残された私たちのこれからの生き方に、深い意味と光を与えてくれるのかもしれません。
更新日2026.8.13
誰が×つけてるの
「自分へのダメ出し」は、一見すると自分を傷つけるだけのように思えます。
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「こうすべき!」と裁く自分(トップドッグ)社会のルールや親の教えを守ろうとする「厳しい司令塔」です。責任感を持ち、成果を出すために力を発揮してくれますが、強すぎると「もっと頑張らなきゃ」「休むのは悪だ」と自分や他者を追い詰めてしまいます。
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「やりたくない…」と抵抗する自分(アンダードッグ)「面倒くさい」「もう疲れた」と逃げようとする「素直な子ども」のような部分です。一見弱そうですが、実は無理な要求から身を守る防衛反応であり、無邪気さや新しい発想を生み出す大切な原動力でもあります。
否定してきた感情や嫌だと感じる自分にも光をあて、対話させてあげること。




