連日の報道を見ていて気づくこと。
安倍さんの布マスクは少し小さめかな。
絵本のゾウくんのマスクみたい。
どうせなら、見本となるつけ方をしてほしいな~~
逆に、立派なマスクをしていても、
肝心のお鼻が隠れていなかったり、
お話する時に、マスクを顎まで下げている方も見かけるけれど。
ん~
大切なマスク、どうせするなら効果的に使いたい。
マスクは、しっかり鼻を覆って、顎までかかる大きさがあれば安定します。
着脱時は紐を持って、表面は触らないようにね。
外したマスクを置くときは、口鼻に接触していた面を上向きに置きましょう。
これは、医療で言われる清潔・不潔の観念に通じるところです。
目に見えないもの(ウイルス)に対する、取り扱いの注意点というものが結構あるのです。
これから、軽症・無症候の自宅療養者が増える可能性に伴って、
お家で、お世話をする方も増えるかもしれません。
医療従事者だけでなく、誰もが知っておくと、感染のリスクを最小限に抑えることに繋がります。
マスクに対してのエビデンスの有無は様々言われるところですが・・・
顔を覆うことで粘膜、鼻、口に触れる機会は少なくなるし、喉の潤いを保つ効果は確かにありそう。
どちらもウイルスから粘膜や気道を守ることには貢献してくれるかな↑↑
そうそう💡
昨日の都知事の布の柄マスク(。・ω・。)ノ♡
スカーフと密かにリンクさせていたようで、とてもオシャレでした。☆彡
最近は、手作りマスクが沢山出ています。
布マスク以外にも、サージカルマスクと合わせてつけるインナーマスク、マスクカバーなるものもあります。
こんな時だからこそ、色々試してみるのも楽しい。
手作りキットも目にします。
お裁縫が得意な方、うらやましいな~
私が、好んで見るテレビ番組。
それは、衛星写真に写る、日本各地の人里離れた場所にある建物を、
実際に訪れて探していく、というアレだ。
(最近は、個人情報保護に対する疑問等、色々言われているようですが・・)
人里離れた山奥に、一体どんな家があるのだろう?
ほんとに人は住んでるの?空き家?
最初は、そんな好奇心から見始めた。
目的の場所に向かうため、まずは、最寄りの集落で聞き取り調査を行う。
人気番組の効果?か土地柄か、仕事中でも手を止めて、快く聞き取りに応じる人々。
中には、自分ではわからないから・・・と、別に詳しい方を呼んできたりもする。
更には、自ら案内役を買って出る方も多い。
そこには、ゆったりとした時間が流れている感覚がある。
たどり着くまでの道のりも、これまたハラハラさせられる。
舗装されていない曲がりくねった山道や、
対向車が来たら、どうしよう・・と心配になる位の細い道、
ガードレールもなく続く道の脇は、すぐ崖!!だったり、
道路には落石が転がっていたり、と
何しろ、とんでもない道を進んで行くのだ。
この時点で、すっかり自分が探検隊にでもなった気分。
ひやひや、ドキドキしながら、目的地を目指す。
困難を乗り越えて、ようやく到着!!
ホッとすると同時に、次は住人の確認だ。
せっかく訪ねても、実際には、空き家や廃墟だったりすることもある。
(個人的に廃墟、好きです。)
そんな時には、他のポツン・・を紹介してくれたりもして、
更なる目的地を目指して、また進んで行くことになる。
そんなこんなで、
ようやく、その家の主にお会いすることができた時は、こちらもホッと一安心。
さあ、ここからが本番!!
どんな人が、どのような理由でそこに暮らしているのか?
その人の生きてきた人生の物語に触れていく時間となる。
人それぞれ様々な物語があるが、
人里離れた場所での生活に、不便さと困難を抱えながらも、
生まれ育ったこの場を離れることをしない、
というより、
離れること自体考えられない、というのが皆さんの本音のようだ。
高齢になっても、子ども達が離れても、今は山を下りて暮らしていても、
その方にとっては、ただ生まれ育った場所にいるのが当たり前、ということのようだ。
誰かと一緒でも、誰かがいなくなっても、一人でも、
ただ生きていく。
それは、当たり前の日常、暮らしの風景でもある。
人生の物語を作るのはいつも自分。
傍から見れば、信じられない事であっても、
その人にとっては、特別なものでもない。
生きるということが、今のそのままあるだけ。
そのシンプルで自然な姿に、何故か、ふと懐かしさのようなものを感じたりもする。
本来、人間の持つ強さや逞しさにも触れる気がして、何だか元気になる。
たとえポツンと、であっても、大自然と人、人と人が繋がって、同じ時を生きている。
そんな自然な結びつきに心惹かれるから、つい見たくなってしまうのかもしれないな。
♪何が正しいか知らない、何が楽しいか知ってる♩
こんな歌がありましたが・・・
他者の反応や評価ばかりを気にしたり、頭で考える日々を送る事が普通になると、
もともと備わっている気づく力、感じる力が鈍くなっていきます。
私は、何をしている時が楽しいか?気持ちが良いか?
時間を忘れて没頭できるか?毎日しても飽きない事は?
しばらく離れても、また始めている事は?
何か当てはまるもの、ありましたか?
そこに禁止や縛りは必要なく、それが何に結びつくとか、意味を見出さなくてもいいのです。
ただ単純に「自分が喜んでいる」という感覚を味わえること。
自分が喜ぶことなので、周りには理解されなくても当たり前。
むしろ、他者と違う自分を発見できるなんて素敵です。
本音を大事にできると、インスピレーションも冴えてきます。
自分を変えることではなく、
自然に湧いてくる心地よさを感じ、身を任せる体験をすることで、
先入観や、こだわりのない、本来持つ力が現れやすくなると感じます。
だから、
やりきってください、
感じきってください、
どうぞ、
楽しみ尽くしてください。
私は、SNSが苦手だ。
特にグループチャットの類。
グループは友人、職場、母親同士と色々。
複数のメンバーで、リアルタイムに質問や返事ができるから、とても便利な反面、
私にとっては結構、困ることもある。
まず、誰に言っているのか?がわかりにくい。
そして、文字のやり取りが続くことで現れる、暗黙の了解みたいなものがわからず、
戸惑ってしまうことも多い。(-_-;)
相手の表情が見えない分、
文字から微妙な意味合いや、発信者の意図を想像してしまうことに疲れてしまう。
1対1ならまだしも、複数となると更に難しさは倍増する。
1番困るのは、
自分が、どのタイミングで返事をしたらよいかが、わからないこと(´;ω;`)
迷っているその間にも、次々と入るメッセージ。
ピンポーン!ピンポーン!と通知音の嵐!!
わ~~
どこで入ろう?と軽い焦りを感じたりもする。
ん??
入るタイミングを見計らうこの感じは、
小学生の時の大縄跳びに似てる!!笑
そんな些細なこと?に、不自由さを感じる自分に気づく。
こんな風なので、子育てでも色々、悩むことが多かった。
特に、親同士の関係については気苦労も多かった。
周りが、何気なくできることが私にはできない、という劣等感が自分を苦しめていたこともあったし、
親はこうあるべき、という思い込みの強さがあったのだと思う。
それが、不安や孤立感を作っていた。
他者との比較で生まれる苦しさは、
自分の中にある、沢山の自分を知るきっかけだ。
そこに丁寧に光を当てていくことで、
それぞれ持つエネルギーが方向づけられて、本来の力を取り戻していける。
自分を苦しめるものは、私の1部分であって、私の全てではないことに気づいていく過程。
どれもが生かされて調和することによって、
自分の中心に位置する、堂々として慈しみに満ちた尊い存在を知ることになるだろう。
今日は成人の日。
子どもにとっては、親の庇護から離れ、
1人前の成人として権利を得られると同時に、義務を果たす責任が生じる。
親にとっては、子どもの成長や発達を通して、
自分を見つめる日でもあると思う。
これからも、子どもであることには変わりはないけれど、
同じ時を生きる仲間として、私なりに見守り続けていくね。