1人でいるのが嫌だから、あまり好きじゃないけど、とりあえず一緒にいる。
知っている人達の中では、1人でいる姿を見られたくない。
寂しい人だと思われたくないから。
皆と一緒なら、とりあえず安心。
嫌われたくない、重く思われたくない。
微妙な空気を読んで、自分の気持ちは言わないの。
当たり障りのない表面だけの付き合い、何だか寂しいけど・・
本当は、もっと深い部分で繋がりたいのに…
これは、良く聞く子ども達の人間関係。
でも私達、大人も一緒かもしれない。
誰かと一緒なら、とりあえず安心、人の輪から外れないように、皆と同じなら間違いない。
世間体を気にして、他人の視線や評価を気にして、忙しい毎日にまた巻き込まれていく。
1人でいるって、そんなに異質? 人と違うって、おかしな事?
自由に生きるために、勇気が必要な国? 日本。
自由になりたいって思うのに、孤独を恐れ、人に合わせて生きている。
自由かどうかは、自分が決められる事なのに。
孤独はね、
自分と対話する時間をくれる。
今まで気づかなかった自分を知る時間。
だから、ますます寂しくなる事もあるかもしれない。
でも、沢山の思いをもつ自分に気づく機会は、けして無駄ではない。
ちょっと離れた場所から、色々な思いを眺めてみる。
そうか・・そんな私もいるねって・・
ちょっと苦しい思いは、箱にしまって、それを眺めるように接してみる。
無理矢理、追い出そうとはせず、居場所を与えてあげることが大切。
良い悪いと判断しないでおくこと。
そうすることで、色んな自分が混ざりあって、今までにない新たな自分になっていくかもしれない。
人は、自分にとって大切なものを知るために、孤独が必要な時があるのだという。
一人になる勇気と、孤独を楽しむ能力を持つこと。
それは、自分の人生を生きるために必要とされる、尊い時間だと思う。
何か頑張ったら、自分にご褒美をあげるっていう事ありますよね。
あなたが今、思いつくご褒美って何でしょう?
何かを買いますか?それとも何処かへ、おでかけしますか?
それも楽しいですが、逆に何もしない時間を与える、というのもありでしょう。
何もしない事に、不安や罪悪感を持つ方もいるかもしれません。
それはそれで、大切な気づきです。
忙しい毎日、人は何かをしながら、同時進行で別の事を考えています。
脳は休みなく働いている状態なんですよね。
脳をリラックスさせるには、質の良い睡眠はもちろんですが、
数分でも、目を閉じるだけで、外界からの刺激が遮断できるので、脳が喜ぶかもしれません。
呼吸に集中するのも、おすすめです。
普段は、無意識にしている、自分の呼吸を観察してみるのです。
息を、ゆっくり、長く吐いてみる。
いらないものを、全て吐き出すイメージで・・・
人間の身体は上手くできていて、息を吐ききると、
次は、新しい綺麗な空気を取り込もうと、自然に息を吸うようになっています。
過呼吸などの、浅く早い呼吸では、苦しさから、もっと沢山の酸素を取り入れようとしてしまいますが、
そんな時は、吐く事に意識を向けることで、呼吸が平静になっていきます。
緊張や不安を感じている時、自分の呼吸が、どのようになっているか? に気づくと、
それを変えることができます。
浅い呼吸や、息を止めていることに気づいたら・・・
はい!深呼吸~~
大きく吸ってみます、または、大きく吐いてみます。
シンプルですが、自分にしてあげられる、大切なプレゼントですね。
悩みって、自分が変化するために時々、現れる課題みたいなものだと思います。
人間は、一生をかけて変化し成長するものだと思うので、一皮むけて、
また、新たな自分に出会える機会、時期が必ずあると感じます。
時間の経過や環境の変化によって、いつの間にか自然に解決していたり、
それ以前に悩んでる暇はない!!って方もいるかもしれませんが・・・
他にも、もう解決済と思っていたこと、成り行きで、何となくクリアしてきたけれど、
未解決だった自分の課題が、何かのきっかけでパターンとして現れてくることもあるでしょう。
根本的な自分の問題に気づかなければ、それは周囲の人が変わっても、環境が変わっても、
同じように、いつか困りごととして現れてくるでしょう。
それは、自分が自分に気づいてほしい!大事にしてほしい!というメッセージなのですから。
例えば相手に対する不満を、怒りとして表現してしまう場合。
恋人でも夫婦でも親子でも・・・
何故、自分は怒るのか?を考えた事がありますか?
まず、怒りの裏には、自分をわかってもらえていない!という気持があるのではないでしょうか?
「一生懸命やっているのに!!こんなに辛いのに!!大変なのに!!」って・・・
特に近しい間柄では「わかって当然でしょ!!」という、支配的な思いを持つこともあります。
こんな風に、わかってもらいたい!!という気持の奥には、何層もの思いや記憶があります。
「もっと自分を理解してほしい、優しい言葉をかけてほしい、構ってほしい、大切にしてほしい・・・」
そう・・
自分の思った通りに愛してほしい欲求です。
怒りをぶつけて一体、何を得ようとしているのか?
本当の自分の気持ちに気づいてあげること。
怒りを、ぶつける事では、根本的な解決にはなりません。
それどころか、その怒りのせいで大切な人を失ってしまう事になりかねません。
相手に解決策を求めてばかりでなく、自分の課題に気づいていく勇気を持つことは、
本物の幸せに近づくための、確実な方法の1つではないかと感じます。
今が辛くても、不安でも、最後に救ってあげられる人は、あなたです。
自分の中には色んな自分がいます。
ダメと感じる自分もいれば、気にいっている自分もいる。
色んな自分が、その時の状況や、環境で現れてくるかもしれません。
一見、矛盾しているような、相反する思いを抱いていることだってあります。
例えば・・・
結婚したい!と思っているけれど、いざ、その機会になると、自ら結婚を遠ざけてしまうなど、
無意識にある自分の恐れや不安が、そうさせることがあります。
幸せになりたいはずなのに、いつも同じようなパターンを繰り返して、失敗してしまう、とかもそう。
これらは一見、矛盾していますが、自分にとって不利な行動パターンをとる事で、
過去、何かを得ようとしてきたとか、実際に得たものがあったのかもしれないですね。
潜在意識では、幸せになってしまう事が怖い、それを手に入れると、失うものがあるのかもしれません。
いずれにしても、矛盾した、その方法で、自分を守ってきたとも言えるでしょう。
自分の中にある幾つもの自分は、あなたを幸せにしたくて、やってくる気持ちです。
それに気づくこと、嫌な感覚や感情も排除しないで、たとえ少しの間でも居場所を作ってやること。
そうすることで、自分が自分と繋がり楽になっていきます。
カウンセリングセラピーKIZASHIでは、カウンセリングやワークを通して、そのお手伝いをさせていただきます。
自分にジャッジしないで生きるって難しいと感じます。
人は、自分の言動について良いか? 悪いか?好きか? 嫌いか?正しいか? 間違っているか?
の判断をして日々、過ごしています。
こうじゃなきゃ駄目!っていう自分の中の判断基準。
それは一見、社会の基準にのっとっているように見えて、実は自分の中だけの事だったりもする。
自分の中の基準に沿うことは何より安心。
特に今までそれで困ったこともないし、皆と同じで間違いもなさそう。
それをしていれば、まあ何とか社会には適応しているしね。
自分を必要とされているという承認欲求も満たされているし・・
でも、その基準って、本当に自分で決めた基準なのだろうか?
誰かに言われたり、勝手に空気を読んで学んできた基準だとしたら?
長い間に、自分で作り上げてきた基準は、案外、親や周囲から刷りこまれてきた事だったりする。
人には優しく、人が嫌がることをしない、人に迷惑をかけない・・・とかね。
こういうことができない人を、目の当たりにした時に、強い怒りを感じる方は、
自らの意志でなく、他者からの教えを、今でも忠実に守ろうとしている可能性があるかもしれませんね。
自分が、したいからするのであれば、何も人に同じことを求めなくても良いわけです。
また、自分の中の見たくないものを、無意識に相手に映し出してしまうということもあります。
どちらにしても、相手に怒りを感じる時点で、自分にジャッジしているんです。
だから相手にも〇か×かを出したくなるんですよね。
あなたの中の基準って何ですか?
あなたの価値観って?
それは、本当にあなたが大切にしたいと思っていることでしょうか?