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わがままに生きる
自分が感じるまま、自分がしたいように行動するのに、抵抗を覚える人は多い。(私もその1人だったけれど)
こんなことするなんて、自分のわがままではないか?
今まで手にしてきたものが、失われてしまうのではないか?
世間一般から外れてしまうのではないか?など
何が正しいか?と考える時点で、自分を守ろうとする反応が起きているのだろう。
それは、生きるうえで大切な事でもあり、当たり前の感情でもある。
でも、自分の外に原因や責任を求めても、苦しみは終わらない事に気づけたなら、
証拠や基準を、外に求めることを止めてみるといい。
人は、本当の自分の欲求を知り、自分を信頼することを怖がるけれど、
答えは自分の中にあって、何より、それが一番正しいということを、本当は知っているのだとも思う。
それに気づいていくには、嫌な部分を、わかったふりをして、ないものにしたり、
いけない事だと閉じ込めたりしないこと。
嫌な自分を排除することに必死にならないで、とりあえず、その場に置いておけるスペースを作ること。
それは、息を吐ききる事に集中すると、次は、意識しなくても自然に息をしていることに似ている。
すると、案外、怖い事でもなく、敵と思っていたそれは、
本来の自分に気づかせるための扉であることに気づくかもしれない。
目には見えず、根拠もない未知なものに進む生き方は、綱渡りのような危険と勇気を必要とする。
でも、先行きの見えない時代を生きている私達には、安全や安心が保障されているわけでもない。
ましてや、明日も同じように生きれるとは限らない。
全ては今、ここに。
自分に起こることに興味や関心を持って佇むこと。
その過程を、孤独な作業にする必要はない。
あなたの思いや感情を加工することを求められる場ではなく、
そのまま、ありのまま、あなたでいることを許される場や人との中で、新たに生まれてくるのだと感じる。
自分の、わがままを、正直に認めることができると、
人は皆、わがままなのだな~と、何だか優しい気持ちになれたりする。