子育ては自分育て、と言われるけれど、
言い方を変えれば、
子どもを通して自分を知る、ことだと感じる。
知るとは、
自分に起こる感情や思いや記憶などに気づくことでもある。
子どもといて、どんな時に、どんな感情が湧いてくるのか?
それを、ジャッジしている自分はいないだろうか?
良い悪いは、他者との比較によって起こりやすい。
その他大勢の子どもの中で、違い、という形で現れるもの。
うちの子、よその子、から見えてくること。
幼少期の心身の発達や、皆と同じ行動ができないとか。
言葉を借りれば、発達障碍だとか、不登校だとか・・
一般的な状態でない?ことについて、親は心配になる。
この子に何が起こっているのか?
寄り添って何とかしてあげたいと思う反面、
どうして、この子はこうなのだろう?
と異質な者として見てしまう、そんな時もあるだろう。
私の育て方のせいなのか、環境のせいなのか・・・
頭の中で、ああだろうか?こうだろうか?と原因探しを始めてしまうことだってあるだろう。
それは、子どもと自分が一体化している状態ともいえる。
困っているのは一体誰なのか?
どんなことに困りごとを抱えているのか?
子どもに起こっていることと、自分に起こっていることを分けることが大切になる。
違和感、苦しさ、怒り、悲しみ
子どもを通して、自分に起こることに気づくこと。
それは、辛いものに触れることになるかもしれない。
私の中に、ずっとあった未解決なものに触れてくる体験かもしれないからだ。
それでも、1人ではわからなかったこと。気づかなかったこと。
それと少しづつ一緒にいられるようになれる時、
同じような仲間と共にいる場があることで
初めて、子どもに寄り添うことができるのだと思う。
子育てに、もともと成功も失敗もないはず。
「人を育てる」ことが、評価されてしまう世の中では安心は得られない。
親の孤立をますます仰いでしまうだろう。
自分を知るには、映し返すものが必要。
人が変化していくには、他者が必要なのだから。
自己の分身??
日々の生活を共にする者?
守るべき者?
愛する者?
私と子ども。
最も近い存在だけれど、私ではない者。
違うからこそ、理解したいと思う者。
相手を変えることなく、自分も刻まないで・・・
近ければ近いほど生まれてくる違和感。
それを丁寧に観ていくことで、次第に関係は変化していく。