相手を知りたいと思う時は、まだ知らない(気づいていない)
自分を知る予感かもしれない。
相手を通して自分を知る。
苦手な人も、憧れの人も・・・
相手に映し出しているものは、
自分が抑えている認めたくないものだったり、
反面、
また発揮できていない魅力だったりもする。
他者に興味を持つことは、
自分に興味を持つことでもある。
愛の反対は無関心だ。と、マザーテレサは言ったけれど、
自分に起こっていることに、無関心を装うのは悲しい事だと思う。
私が繋がっていくこと。
その道のりは、けして平坦なものではない。
進んだり戻ったりを繰り返しながら、
いつの間にか楽になっている自分に気づいていく。
人間関係で繰り返してしまう癖のようなもの。
それは、相手が変わっても、また必ず出てきてしまう。
運命の人を捜しあてたところで、結局は一緒なのだと思う。
繰り返されることは、実は自分が繰り返しているのだから。
「気づいてほしい」「わかってほしい」
言えなかったこと、伝えられなかったこと。
それを言ったところで、無理だと諦めてしまったこと。
その思いは、ずっとずっと、心の奥にしまいこまれたまま、
表に出てくるのを待っている。
あの時、
私は何を言いたかったのだろう?
何を望んでいたのだろう?
何をしたかったのだろう?
怒りや、悲しみを引き起こす、その奥にあったもの。
そこに興味を持っていくこと。
触れられる機会がなかった代わりに、
感情や感覚を飲み込み、切り離して、
適応する技ばかりが磨かれてきたけれど、
それは、消えることなく今も残り続けている。
私を思い出していくこと。
それは、あなたが本来持つ力を取り戻すことでもあり、
愛を思い起こす尊い体験となっていくだろう。