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少数派?
私は、SNSが苦手だ。
特にグループチャットの類。
グループは友人、職場、母親同士と色々。
複数のメンバーで、リアルタイムに質問や返事ができるから、とても便利な反面、
私にとっては結構、困ることもある。
まず、誰に言っているのか?がわかりにくい。
そして、文字のやり取りが続くことで現れる、暗黙の了解みたいなものがわからず、
戸惑ってしまうことも多い。(-_-;)
相手の表情が見えない分、
文字から微妙な意味合いや、発信者の意図を想像してしまうことに疲れてしまう。
1対1ならまだしも、複数となると更に難しさは倍増する。
1番困るのは、
自分が、どのタイミングで返事をしたらよいかが、わからないこと(´;ω;`)
迷っているその間にも、次々と入るメッセージ。
ピンポーン!ピンポーン!と通知音の嵐!!
わ~~
どこで入ろう?と軽い焦りを感じたりもする。
ん??
入るタイミングを見計らうこの感じは、
小学生の時の大縄跳びに似てる!!笑
そんな些細なこと?に、不自由さを感じる自分に気づく。
こんな風なので、子育てでも色々、悩むことが多かった。
特に、親同士の関係については気苦労も多かった。
周りが、何気なくできることが私にはできない、という劣等感が自分を苦しめていたこともあったし、
親はこうあるべき、という思い込みの強さがあったのだと思う。
それが、不安や孤立感を作っていた。
他者との比較で生まれる苦しさは、
自分の中にある、沢山の自分を知るきっかけだ。
そこに丁寧に光を当てていくことで、
それぞれ持つエネルギーが方向づけられて、本来の力を取り戻していける。
自分を苦しめるものは、私の1部分であって、私の全てではないことに気づいていく過程。
どれもが生かされて調和することによって、
自分の中心に位置する、堂々として慈しみに満ちた尊い存在を知ることになるだろう。
今日は成人の日。
子どもにとっては、親の庇護から離れ、
1人前の成人として権利を得られると同時に、義務を果たす責任が生じる。
親にとっては、子どもの成長や発達を通して、
自分を見つめる日でもあると思う。
これからも、子どもであることには変わりはないけれど、
同じ時を生きる仲間として、私なりに見守り続けていくね。