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かくれんぼ
生活していくのに必要なこと。
例えば、食事の支度や掃除・洗濯。
毎日、こなしてはいるけれど面倒なことでもある。
家族やパートナーがいれば、
私ばかり、どうしてしなければいけないの?
とか、
私だって働いてるし、疲れてるのは一緒。
私の大変さをちっともわかってくれない。
等の思いが湧いてくることもあるだろう。
更に、子育てや介護が重なれば不満もまた大きくなる。
こんな時は、
私ばかり・・
私だって・・
私しか・・・
私、私のてんこ盛り状態、それがイライラを連れてくる。
そこには、
相手に期待しすぎている私がいないだろうか?
たとえ親や兄弟、長く過ごした間柄でも、それぞれの考え方や価値観や感情がある。
お互いを理解するためには、自分の気持ちや考え方を言葉で伝えたり、行動することが必要になる。
頭では理解しているつもりでも、これがなかなか難しい。
特に、この思いが強すぎて困難を抱える方もいる。
それは、突然の怒りという形でやってくるかもしれない。
一体、
何が起こっているのだろう?
そこには、何も言わなくても、
私のしてほしい事を察知してほしい!
わかるのが当たり前でしょ。
という強い願いのようなものがあるのではないだろうか。
私と他者の境界が曖昧になってしまう時ともいえる。
「気づいてくれない」
「関心を持ってくれない」
「気遣ってくれない」
「大事にしてくれない」
更に進むと、
「誰も私の事をわかってくれない!」という絶望的な思いも見え隠れする。
そもそも、子育ては共同作業。
なのに、頼めないのはなぜだろう?
伝えないのは何故だろう?
負担を減らし、楽しく生活するにはどうすればいいか?
建設的に話し合ってもいいのに。
何も言えない子どもじゃないのに・・
伝えることを邪魔するものって何?
どうせ言っても聞いてもらえないから?
怒って否定されて終わりだから?
苦手意識?罪悪感?
私がしてほしいことを伝えることなく、
黙っていたままで、
相手に全てを受け入れてほしいという思い。
特に親しい間柄で、強く現れてくること。
これは、
どこまでも深く愛情を求め続けている状態ともいえる。
悲しみ・絶望・放棄・虚しさ・孤独・憎悪
沢山の心の傷が疼く時でもある。
過去に繋がって、今でも起こっているもの。
あなたの内にあって、見え隠れする小さな者たち。
心理セラピーは、
かくれんぼのように、あなたの内に隠れた、
小さな子ども達を見つけていくことに似ている。
中には、鬼の声が届かない遠~い所に、隠れている子どもだっている。
見つからないように息をひそめて、じーっとしているそんな子には、
そ~っと、少しずつ、静かに、1歩ずつ近づく慎重さも必要になる。
見つけることから少し距離を置いて、その気配に気づくだけでいいこともある。
大切なのは、見離さないで置き去りにしないことなのだ。
隠れているのは一体どんな子?
見つけたその子に、ただ寄り添うことで一体、何が起こるだろう?
これまで生きてこられた、あなたが、あなたにいまできること。
そんな尊い体験をご一緒させていただけることを願っています。