誰が×つけてるの?
自分の感情や思いを、否定してしまうって何だろう?
×をつける、ダメだしをするって、自分へのいじめなのに・・・
わざわざ×をつけるって?
自分いじめは、こうすべきだ!とか、こうしなければならない!など、批判したり叱咤激励する部分。(トップドッグ)
社会規範やルールや道徳、慣習など、幼少期から親や教育などによって与えられたものでもある。
これが的確に働けば、与えられた職務や役割を全うする中で、自分の強みを発揮し成果を出し評価や承認も得られるだろう。
でも、これが強すぎると、正しさに反応する厳格な司令塔によって、強迫的な思考に囚われたり、
柔軟な考えが出来ず行動が限られたり、休むことにも罪悪感を覚え、無理をしていることに気づかずうつ病にもなりやすい。
また、厄介なことに、正しさ、責任感、完璧が他者に向かえば、高圧的、威圧的行動に繋がり、ハラスメントや
コミュニケーションが円滑に行えなくなるだろう。
反面、正しさの要求から逃げたい、反抗したいという部分が人にはある。
面倒だな、嫌だな、という怠けたい気持ち。(アンダードッグ)
今は忙しいから、機会があったら、などと言い訳をして物事を引き延ばす。
受け身で弱いと感じてしまうが、実は、本音に近い部分でもあり、抑圧された感情や記憶から守っているともいえる。
アンダードッグは、子どものような純粋無垢さ、天真爛漫さを有している。
それは、裏表のない素直さで相手を選ぶことなく助けようとしたり、
好きなことや目的には、純粋な好奇心と熱意をもってひたむきに取り組む、
無邪気さは、常識にとらわれない発想や創造性を発揮することにも繋がる。
大切なのは、自分の内に相反する気持ちがあることに気づくこと。
それらが互いに何と言うのか?
対話を通して言い分を聞いていくことを試してみるのだ。
意識は繋がっているから、あまり歓迎されない、嫌だと感じる部分に光が当たることで、
一方通行だった流れが変化し、交流し始めることで循環していく。
相反する一見、矛盾したように感じる感情や欲求のぶつかり合いを共存させる過程で訪れる安堵感。
それは、あるがままの自分と共に在ることの一体感がもたらす、心の平和ともいえる。
