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長夜
映画や、ドラマや小説。
時間を空け見返してみると、以前とは違う思いや感じを持つ。
当時は、気にも留めなかったこと、よくわからなかったこと、感想の違い。
色々な視点で、登場人物それぞれの魅力を感じたり、新たな疑問や発見がある。
例えば、一見、他者との深い関係を切に望んでいるようにみえて、実は、相手を受け入れることができないキャラクター。
彼女は、受け入れてしまうと厄介になるって、どこかで感じている。
それは、怖さや煩わしさや面倒くささや落胆のようなもの。
親密さを求めながらも、距離が縮まると起こる、落ち着かない感じや窮屈さ。
一緒に居ることを望みながら、避けたい・・・が同時に起こっている感じ。
そして、次第に彼女は、関係性において起こる自分の内にあるものに気づく。
相手に、嫌われぬよう穏便に済ませようという思いからNOがいえないこと、
拒否されたり無視されたり攻撃される怖さから、自分のしてほしいことを伝えることができなかったり。
そもそも、自分の要求が何であるのかも分からなかったり。
あなたはOKだけど私はNOな感じ・・
また、相手の欠点や不甲斐なさに不満を持っていたと思っていたのに、
実は、自分が相手を見くびることで自尊心を保っていたことに気づいたり。
相手の問題を自分の問題と混同し、相手を力のないものとすることで、自分の力や価値を見出したり。
私はOKだけど、あなたはNOという気持ち・・・
自分の感じていることをわかってくれて、共感してくれて、受容してくれて理解し合える。
そんな深い関係を求めているのに、どうして関係を築けないのだろう・・・と思ってきた。
気に入られようと自分をOPENにして相手に近づき、相手が開いてくれないと感じると急に関係を中断してしまうのに。
彼女は、誰かを求めながら、本当は、閉じたい、closedしたい。
休憩中!休業中!終了!って看板を立てたい、
他者と無理に関わらず、繭に包まれた安全なシェルターで過ごしたい感じがあることに気づいていく。
それは、他者と自分の境界や結界を意識できること。
心臓の部屋を仕切る弁のように、しっかり閉じる。
閉鎖不全になって、部屋と部屋(相手と自分)が逆流しないように。
守られた安全な空間を確保して、エネルギーを貯め、全身に血液を送り続けていく。
死ぬまで生きるために。
そんな安全な部屋では、外界のわずかな音や声、人の気配や空気の流れ、自分の体温や鼓動を感じている。
ひとりでいながらも、誰か何かの存在を感じながら心地よい感覚を掴んでいく。
そんな時の身体は、どうなっている?
緊張が緩み、無駄な力が抜け、地に支えられているような無理のない感じ。
呼吸はどうだろう。表情や手や足の感覚は?
そんな自分の体の感じを掴みながら、他者との距離が近づくことで起こる変化を、行ったり来たりしながら、
安心な他者との距離を体感する経験。
それは、そのままの自分でいながら、少しだけ誰かと居てみる体験でもある。
皆と同じことをする必要はなく、誰かの期待に応えようとしなくてもいい。
変えることなく、治すこともないまま、いつの間にか変わっていることに気づく。
それは、安全な子宮の中で育ちながら、冒険に満ちたこの世に生まれ出る時が来るように、自然とやってくるのだ。
ああ、私の心地よい関係は、相手が空間を与えてくれて一緒にいてくれることだった、と気づく瞬間。
自分を避けず、避けることなく共に居ることができるようになると、
何を受け入れ、何を受け入れないかを、自ら決めていけるようになる。
それは、新たな他者との始まりでもある。
関係性の形は、人それぞれ。
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