080-2637-7917
あるがままのあなた。
あるがままの私。
あるがままで広がる世界。




blog

2021
04 / 23
18:30

母 ママ お母さん

母 ママ お母さん

近くのスーパーマーケットに立ち寄った時のこと。

レジで支払いを済ませようと並んでいると、お菓子コーナーから、

大きな声で泣き叫ぶ子どもの声が聞こえてきた。

 

見ると、3~4歳だろうか?

男の子が床に仰向けになって、買って買って~!!と暴れている。

傍には母親らしき女性が1人。

 

母親は、暴れる子どもを静かに眺めるように立っていて、時折、淡々と何やら子どもに言って聞かせているようだ。

多分、想像するに今は買わないよ、というようなことだと思う。

 

その親子は、ちょっとした有名人らしく、店員さん同士で「久しぶりだね~」などと囁きあう声が聞える。

私の番がきて、支払いを済ませようとすると目の前に、さっきの親子がいる。

帰る様子だが、子どもは諦めきれないのか、出口で床に寝そべり、またワーワーと大声で泣いている。

どうするのだろう?と興味の湧いた私が見ていると、

一時泣いて、ようやくあきらめがついたのか、その子は母親が「おいで」と広げた胸の中に、泣きじゃくりながら飛び込んでいった。

それを眺めていた私の胸に、こみあげてくるものがあった。

 

子どもが同じくらいの時、私は、スーパーに行くのが嫌だった。

必ずと言っていいほど、子どもは買って買って!とせがんでくる。

買わないことを伝えても一緒だ。

買って買って!!と諦めない。

そんな時、私は大体根負けして買っていた。

それは、泣かれるのが嫌だったから。

その様子を周りに見られて、うるさいな、と思われるのが嫌だったからだ。

「もう知らない!!」を決め台詞に、その場からさっさと離れたこともあったな。

 

あの時の私。

 

子どもに寄り添うことなく、周囲の目を気にして、とりあえず、その場をやり過ごすことの繰り返しだったと思う。

どんな風に接したらいいのか、わからなかったともいえる。

 

あの母親のように、子どもの気持ちを聴きながらも、できること、できないことを示す。

子どもの感情を無視することなく、怒りで押さえつけず、逃げもしない。

ジッと見守って、最後に受け入れる。

あの母親の姿に、私は神々しさを感じた。

 

親子を見ながら私は、母としての自分を映し出していたのと同時に、

子ども時代を重ねていたのだろう、あの子どもに羨ましさを感じたりもした。

 

当たり前のことだが、

子どもを産んだからと言って、今までと違う自分になれるわけではない。

子育てを通して、できれば知りたくなかった歓迎されない、自分の部分に気づかされる時があるだろう。

だから、苦しいと感じるお母さんも多いのではないか、と思う。

 

母親たるものこうでなければ、という思い、責任ともいえるもの。

一方、本当はこうしたい、という自分の思いだってある。

どちらか片方だけならば苦しみは生まれない。

 

苦しさは、自分の劣等感や罪悪感によって起こる。

子どもを持つ以前から、自分にあった未消化の部分だと思う。

 

母なら当たり前に、やること、こなすこと。

常識、当たり前、普通と言われること。

周りはできて私にはできない、という無意識的な思い込みがそこにないだろうか。

 

子どもの成長によって環境や対人関係は変わっていく。

色々な役割が思いのほか多すぎて、混乱状態になることもあるだろう。

適応できない自分を恥じたり責めることによって、孤独を感じる子育ては、どれだけ辛いだろうと思う。

 

親だって苦手なことは沢山ある。

母たるものこうでなければ、から離れ、正直に飾らずパートナーや子どもに伝えてもいい。

 

色々な人がいるのだから、当たり前に色々な母親がいていいのだ。

お手本になるお母さんでなくても構わない。

え~!!って驚く位の個性的なママに魅力を感じることだってあるかもしれない。

 

あの、お母さんのようには、私は今もなれないだろう。笑

それでいい、それがいい。

 

子育ては、けして楽しいものではない(笑)と安心して言い合えるような場が、もっと増えたらいい。

そして、1人でも多くの人を、巻きこみながらする子育てが、これからもっと広がるようなお手伝いができればと思う。