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2022/01/26

日常の中の非日常

日常の中の非日常

誰だったか・・・先生が言っていた。

保健室は生徒の駆け込み寺だねって。

 

保健室は、体の不調やケガで来室するところ。

私が学生だった頃は、多分そんな感じだったと思う。

実際、私が保健室を利用したことは、ほとんどなかったのではないか、と思う。

 

しかし、実際に保健室の主として存在するようになった私は、

沢山の子ども達が次々と訪れることに驚いてしまった。

生徒数が多かったのも確かだが、それにしても・・・・

 

現代は、持病を抱える子どもが増えていることもあるが、

それとは別に、慢性的に体調不良を訴える子ども達の多いこと!

 

 

保健室に訪れるそんな生徒たちを、まずは問診して検温する。

とりあえず1コマお休みさせて、改善しないならば家庭に戻す、が保健室の原則。

勿論、それ以前に有熱者や診察が必要と判断した場合は早退させる。

 

しかし・・・

熱発もなく、問診や視診では、特に問題のなさそうな子ども達。

俗に言われる不定愁訴と思しきものも多い。

 

友人間のトラブル、先生からの叱責などで、泣きながら訪れる子ども、先生に付き添われてくる子ども。

保健室は、とりあえずの避難場所としての役割もあるのだ。

集会場所や教室で倒れたり、過呼吸を起こせば、緊急要請!

車いすや担架でお迎えに行くこともしばしばあった。

いつどこで誰に何が起こるかわからないのは、病院と一緒だ。

不測の事態に備えて、こちらは準備が必要となる。

 

疾風怒涛の思春期。

体の変化のスピードに心はついてゆけず、

他者や親、自分との狭間で、イライラや落ち込み、訳の分からないモヤモヤ・・

何が何だかちっとも訳わからない!そんな状態の真っただ中にあるのだろう。

 

心と体の繋がりから言えば、

体の調子を聞くことは、心の様子を直接聞くことと違って生徒も答えやすい。

大体、心に目を向けることができないのが当たり前。

心の様子が自分でわかっていたら、体の調子が悪くなることはないだろう。

 

自傷であろうが、負傷であろうが処置は一緒だ。

痛そうだね。

大丈夫?

*****はい、これで大丈夫だよ。

そんな何気ない、やり取りの繰り返しが大切だと思う。

「こころの問題」という括りから一旦距離を取り、

 純粋に、いま目の前にいるこの子に何が起こっているのだろう?と関心を向けられる余裕が必要と感じる。

 

子ども達が、自分の身体に関心を持てるようになること。

体はいま、何を伝えようとしているのか?

好奇心を持って、体とやり取りができる練習が、これからは必要だろう。。

誰もが、皆、この身体を生きていくのだからね。

 

 

学校は社会の縮図と言われるけれど、

外からは見えない、密室化した家庭で起こっていること。

その現実に、衝撃と苦しみを感じたことも沢山あった。

家庭でもリラックスできない状況にある子どもが沢山いる。

特別な家庭?でなくてもだ。

 

自分の身体に緊張があることに気づける場所。

いつの間にか気づけば、ふっと力が抜けている、そんな場所を私は作りたかった。

 

それぞれが尊重される場所。評価されることのない場所。

ここでは、愚痴を言ったって、泣いたって、怒ったって、寝ていたって、ぼーっとしていたっていい。

学校の中にある、ちょと寄ってみようかな、というそんな場所。

人がひしめく教室の圧迫感から離れて、一人静かになれる場所。

直接、誰かと繋がらなくても構わない場所。

誰かの存在によって安心していられる場所。

他者の話を聞きながら、悩みや困難を抱えるのは私だけでない、と知る場所。

 

居心地の良さに長居しがちな子ども達もいる。

そんな時、声をかけ様子を聞く先生、一喝して授業に連れ戻す先生、見て見ぬふりする先生、

笑いをとってその場を和ませようとする先生、腰を据えてじっくりと話を聞こうとする先生、タイプは様々だ。

それもそれでいい。

生徒にとっては、人間色々いて、思うようにならない、都合の良いことばかりでないことを体験するのも大切だから。

 

 

養護教諭も自分の力の抜きどころがわかるには経験が必要だろう。

学校のチームの一員として、連携しながら交流しながら、

先生達に理解を求めながら、時にぶつかりながら、外部との繋がりを持ちながら、

人と人、人と社会的な資源を繋ぐ、というコーディネーターの役割も求められる。

 

人を育てること。それは自分を知り、自分を育てていくことでもある。

教えているようで教えられ、助けているようで助けられている。

一方通行でない相互の関係によって日々、生まれているもの。

 

保健室から教室に戻る生徒の背中を見送りながら、

私は「行ってらっしゃい!」と声をかける。

自分の子どもには、なかなかできなかったことでもあるが、

きっとうちの子ども達も、どこかで誰かに見守られているのだろう、と思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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